シリーズ大廃業時代3開拓~秋田・大潟村 コメを作り続けるために~
日本人の主食「コメ」。この半世紀で消費は半減、価格も低迷したままだ。将来、農業に携わる人は半減するという予測も。日本のコメ作りの未来は。コメ作りのため全国から多くの入植者が集まった秋田県大潟村。この地でコメを作り続けるため奮闘し、挑戦を続ける男性を追った。
◇◇◇
涌井徹さん
「自信を持って、今の制度・政策を続けていって、素晴らしい農業きますか?」
消費者に、いいコメを。21歳で入植し、多くの困難を乗り越えてきた、開拓者。74歳。開拓は、続きます。
涌井徹さん
「とにかく倒れるまで走り続けて、倒れても前に倒れる」
秋田県大潟村の涌井徹さん。複数の大手企業が市場を占めるパックご飯事業に、コメの生産農家として初めて参入しました。
涌井徹さん
「世界中に炊飯器はないけど、基本、レンジはあるわけだから」
総事業費は23億円。24時間、フル稼働で、年間3600万食のパックご飯を製造する。世界を見据えた、パックご飯事業。その完成式典で壇上に上がったのは、かつて主張をぶつけ合ったライバル。
秋田県議会・柴田正敏議長
「私が涌井徹氏にはじめて直接お目にかかったのは、平成元年10月25日でした」
柴田正敏さん
「端的にお聞きしますけど、食糧管理制度はなくてもいいという風にお考えですか?」
涌井徹さん
「私がいま言っているのは、食管制度の基本というのは、日本の食糧を『生産者と消費者が理解のある中で作って守っていきましょう』ということを言ってるわけですよ。だから我々は、今のようなわけのわからん米を混ぜられているような食管制度はだめだと」
「減反」賛成農家
「秩序を乱すということだけは、認識していただきたい」
涌井徹さん
「そういうね。そういう秩序を、正確な秩序だと思っていること自体が、あなた宮城県だったかな?非常に宮城の農民は不幸だと思いますね」
減反政策の必要性を訴える農家のグループと、涌井さんら国の政策に矛盾を訴え、減反を拒否する自由米グループの確執が、ぶつかりあった瞬間でした。
涌井さんが、大潟村に入植した1970年。国は生産過剰となっていたコメの生産量を抑えるため、稲を植える面積を制限する政策、「減反」をスタートさせます。
稲を収穫できないよう、強制的に刈り取る「青刈り」。
「”闇米”検問を実施しました」
国や県は、 減反に従わない農家が作り、 独自のルートで販売したコメを「ヤミ米」と呼び、 激しい圧力をかけてきました。
一方、このころ、秋田を代表するブランド米のひとつ「あきたこまち」が誕生します。
涌井徹さん
「こうみると生きてるんだね」
涌井さんは農家4人で会社を立ち上げ、「あきたこまち」の栽培を始めました。考案したのは、家庭の冷蔵庫にも入る1キロ詰めのコメ袋。数十キロ単位の玄米を農協に納めるのが当たり前の時代に、消費者の利便性を考えたパッケージです。
涌井徹さん
「要するに、これがダメだったら、農家辞めたほうがいいなと」
自立した競争力のある産業にしなければ、日本の農業は立ち行かなくなる。
涌井徹さん
「高校・大学を出て、オヤジと一緒にトラクター乗って、コンバイン乗っても、意味がないわけよ。こんなものはオヤジ1人でやれるんだから。それよりは、出来た商品をね、商品化して、仕事ができる分野というものを、いま作っておきたいなと思う。私たちが今やらなければ、自分たちの仲間もやれなくなるし」
訴え続けた、自由な農業。2018年に減反政策が廃止されました。かつて、“ヤミ米屋”といわれた涌井さん。いまは国の研究機関にも意見を伝えています。
涌井徹さん
「画像をすぐ農研機構に送る。データセンターに送ったら、そこからすぐ5分後に、病気・肥料不足・水不足、処方箋が送られてくるような世界が作れるとしたら、日本の農業というのは海外の人がきてもできるんじゃないか」
前に進み続けたからこそ見えてきた農業の新たな姿。
涌井徹さん
「農家が農業をやるよりも、農業を誰でもやれる状況にしておかないと」
「AI」に「5G」。最新技術の視察も欠かしません。
涌井徹さん
「カメラで実際に同じものが見られるということはね、わざわざ指導員が畑に来なくてもいいわけよね。だから指導員のところへ自分の畑を(画像で)送れる。そこで管理ができる」
農業の、新しい景色を。
2022年11月20日放送 NNNドキュメント’22『シリーズ大廃業時代③開拓~秋田・大潟村 コメを作り続けるために~』をダイジェスト版にしました。
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涌井徹さん
「自信を持って、今の制度・政策を続けていって、素晴らしい農業きますか?」
消費者に、いいコメを。21歳で入植し、多くの困難を乗り越えてきた、開拓者。74歳。開拓は、続きます。
涌井徹さん
「とにかく倒れるまで走り続けて、倒れても前に倒れる」
秋田県大潟村の涌井徹さん。複数の大手企業が市場を占めるパックご飯事業に、コメの生産農家として初めて参入しました。
涌井徹さん
「世界中に炊飯器はないけど、基本、レンジはあるわけだから」
総事業費は23億円。24時間、フル稼働で、年間3600万食のパックご飯を製造する。世界を見据えた、パックご飯事業。その完成式典で壇上に上がったのは、かつて主張をぶつけ合ったライバル。
秋田県議会・柴田正敏議長
「私が涌井徹氏にはじめて直接お目にかかったのは、平成元年10月25日でした」
柴田正敏さん
「端的にお聞きしますけど、食糧管理制度はなくてもいいという風にお考えですか?」
涌井徹さん
「私がいま言っているのは、食管制度の基本というのは、日本の食糧を『生産者と消費者が理解のある中で作って守っていきましょう』ということを言ってるわけですよ。だから我々は、今のようなわけのわからん米を混ぜられているような食管制度はだめだと」
「減反」賛成農家
「秩序を乱すということだけは、認識していただきたい」
涌井徹さん
「そういうね。そういう秩序を、正確な秩序だと思っていること自体が、あなた宮城県だったかな?非常に宮城の農民は不幸だと思いますね」
減反政策の必要性を訴える農家のグループと、涌井さんら国の政策に矛盾を訴え、減反を拒否する自由米グループの確執が、ぶつかりあった瞬間でした。
涌井さんが、大潟村に入植した1970年。国は生産過剰となっていたコメの生産量を抑えるため、稲を植える面積を制限する政策、「減反」をスタートさせます。
稲を収穫できないよう、強制的に刈り取る「青刈り」。
「”闇米”検問を実施しました」
国や県は、 減反に従わない農家が作り、 独自のルートで販売したコメを「ヤミ米」と呼び、 激しい圧力をかけてきました。
一方、このころ、秋田を代表するブランド米のひとつ「あきたこまち」が誕生します。
涌井徹さん
「こうみると生きてるんだね」
涌井さんは農家4人で会社を立ち上げ、「あきたこまち」の栽培を始めました。考案したのは、家庭の冷蔵庫にも入る1キロ詰めのコメ袋。数十キロ単位の玄米を農協に納めるのが当たり前の時代に、消費者の利便性を考えたパッケージです。
涌井徹さん
「要するに、これがダメだったら、農家辞めたほうがいいなと」
自立した競争力のある産業にしなければ、日本の農業は立ち行かなくなる。
涌井徹さん
「高校・大学を出て、オヤジと一緒にトラクター乗って、コンバイン乗っても、意味がないわけよ。こんなものはオヤジ1人でやれるんだから。それよりは、出来た商品をね、商品化して、仕事ができる分野というものを、いま作っておきたいなと思う。私たちが今やらなければ、自分たちの仲間もやれなくなるし」
訴え続けた、自由な農業。2018年に減反政策が廃止されました。かつて、“ヤミ米屋”といわれた涌井さん。いまは国の研究機関にも意見を伝えています。
涌井徹さん
「画像をすぐ農研機構に送る。データセンターに送ったら、そこからすぐ5分後に、病気・肥料不足・水不足、処方箋が送られてくるような世界が作れるとしたら、日本の農業というのは海外の人がきてもできるんじゃないか」
前に進み続けたからこそ見えてきた農業の新たな姿。
涌井徹さん
「農家が農業をやるよりも、農業を誰でもやれる状況にしておかないと」
「AI」に「5G」。最新技術の視察も欠かしません。
涌井徹さん
「カメラで実際に同じものが見られるということはね、わざわざ指導員が畑に来なくてもいいわけよね。だから指導員のところへ自分の畑を(画像で)送れる。そこで管理ができる」
農業の、新しい景色を。
2022年11月20日放送 NNNドキュメント’22『シリーズ大廃業時代③開拓~秋田・大潟村 コメを作り続けるために~』をダイジェスト版にしました。