“全壊”老舗酒蔵から届いた「ラベルのない一升瓶」 「支える」から「頑張りたい」
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地震以降、初めて包丁を握ったのは…
被災したすし店の大将
「久しぶりやもんで。気抜けた感じやった、今まで」
石川・七尾市では2日、地震の影響で営業中止となっていた事業者らが集結。屋台村として営業を再開しました。旬を迎えた地魚の握りや、金沢おでんなどが提供されました。
「おいしい!」
「いや~おいしいわ。カップラーメンやらインスタントばっかりでしょ。こういうの食べるのなかなかないもんね、ありがたいね」
そんな屋台村に並んでいたのが、能登の地酒です。
能登の地酒を販売
「七つの酒蔵さんのお酒を用意。ほぼ、みなさん壊滅的なダメージを受けている」
今回の地震で甚大な被害が出たという酒蔵。特に輪島市などの奥能登では、半数近くの酒蔵が全壊となりました。
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん(35)
「倒れているので、奥の方も。近づけないんですよね、この状態なんで奥の方に」
明治から代々受け継がれてきた酒蔵「中島酒造店」。杜氏の中島遼太郎さんは、8代目として酒蔵を守ってきましたが、今回の地震で全壊してしまいました。
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん
「目の前にがれきが転がっていて、ちょっとでも助かるものがあればというのを出しているだけで、頭パンパンっていう状態」
生き残った一升瓶や原料となるお米を救い出す日々。地震から約2週間がたったころ、ふと抱いたのは…
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん
「初めて自分で頑張って、『相手に対してお酒を届けます』という発言をした。被災以降、1回目」
前を向くきっかけとなった存在が、神奈川・相模原市の飲食店「里山里海 奥能登や」のオーナー山内さんです。中島さんの酒蔵とは10年来の取引先です。山内さんは、中島さんが8代目となって間もないころから、その作る酒にほれこみ、付き合いが始まりました。
奥能登やオーナー 山内香織さん
「こういうこと言うのは違うのかもしれないですけど、どうしても(私も)心だけが被災してしまっているような…」
地震以降、中島さんと連絡を取り合ってきました。すると…
奥能登やオーナー 山内香織さん
「被災して2週間で、『必ず奥能登やさんにお酒を届けます』というメッセージを送ってくれた」
届いた動画の中で、中島さんは涙ぐみながら…
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん(1月16日)
「ボランティアの方と残っているお米も少しずつ取り出していて、なんとか助かりそうなお米もあるので、時間はかかりますが、奥能登やさんのところにおいしいお酒をまた…お届けできるように…」
奥能登やオーナー 山内香織さん
「いろいろな思いがこみあげてきて、見るたびに私も涙が出てしまう」
動画が送られてきた後、届いたのは…
奥能登やオーナー 山内香織さん
「ラベルも何も貼っていない、救い出されたお酒の一本」
ラベルのない一升瓶です。
奥能登やオーナー 山内香織さん
「『(この一升瓶が)生き残ったから、ぜひ奥能登やさんで使ってほしい』と…」
しかし、簡単にはあけられないようです。
奥能登やオーナー 山内香織さん
「お酒造りが復興した時に遼太郎くんとお客さまと乾杯したい。絶対開封しないように補強しました」
「ラベルもない一升瓶のお酒が、能登の中島酒造と奥能登やをしっかりとつないでくれている。心だけはそばにいることをまた伝えたい」
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん
「山内さんから、あのメッセージを送る前に『どんな形になっても支えます』っていうメッセージをいただいていて、安心感の中で出たあのメッセージです。みんな『頑張りましょう、頑張りましょう』。もちろん、頑張りましょうという言葉もありがたいんですけど、『頑張りましょう』はもうわかっている。どんな形であっても支えてくれるっていう違う言葉をいただいた時に、自分で頑張りたいなっていう気持ちに切り替えられる」
「支える」から生まれた「頑張りたい」。
中島酒造店8代目 中島遼太郎さん
「街がきれいになるまで何年、建つことに何年。その時にこの街に人がいてくれるのか、飲んでくれる人たちがいないのであれば、難しいですよね。僕ができるのはお酒を造ること。今年はみんなに出していただいたお米をお酒にする。その後はまだ考えてないです」