-40℃で強制労働…凄絶な“シベリア抑留”なんとか生き延び、絵画で伝える思い「あそこで死んだ人は、戦争でもなんでもない…」
戦後、旧ソ連での凄絶な体験を絵画にした男性がいます。男性が伝えたい思いとは。
◇◇◇
「あそこで死んだ人は、戦争でもなんでもない。捨てたようなこと、かわいそうなことした」
品川始さん(98)は、「シベリア抑留」の経験者です。凄絶な体験を後世に伝えようと、およそ13年前から抑留の様子を絵に残してきました。
終戦後、およそ57万5000人の日本人が旧ソ連に強制連行。過酷な労働を強いられ、およそ5万5000人が亡くなったといわれています。
自分の背丈よりも大きい丸太をロープで積んでいく作業は──
品川始さん
「これ(ロープ)が切れれば落ちれば死ぬし、これは命がけだった」
品川さんがいた地域では、冬は日中でも氷点下40℃にもなる寒さの中、鉄道建設が行われました。
品川始さん
「木も凍ってる。氷を切るようにザラザラ(して)、うまく切れなかった。凍る鉄が皮ごとひっついて、手袋しないで触れなかった」
わずかな食事しかあたえられず、やせ細った抑留者の姿が描かれた絵も。重労働に耐えられるか、医師が判断するというのです。
品川始さん
「この肉の厚みで区別してた。牛のせり市みたい」
品川さんは過酷な生活をなんとか生き延び、抑留されてからおよそ4年後に帰国。「もう2度と戦争はしてはいけない」、そう思ったといいますが──
品川始さん
「ロシアがウクライナの方やりよるからな。戦争同じ事繰り返されている。気の毒、逃げるところはそんなにないし。(戦争したら)人間変わるんだな、お坊さんでも学校の先生でも、銃を持ったらやっぱり殺すよ。戦争は恐ろしい。兵隊さんだけが死ぬんじゃないことを伝えたい」