死者・行方不明者43人…雲仙普賢岳の大火砕流から32年
死者・行方不明者43人を出した長崎県の雲仙普賢岳の大火砕流から3日で丸32年です。被災地の島原市内は深い祈りに包まれています。
あの日から32年、青空が広がった島原市内。雲仙普賢岳は山頂までくっきりと姿を見せました。
1991年6月3日に起きた大火砕流では消防団員や報道関係者など43人が犠牲となりました。
被災者が集団で移転した島原市の仁田団地では献花台に花が手向けられました。
当時の島原市長・鐘ヶ江管一さん(92)「多くの人に集まってもらって島原でこういうことがあったと20年、30年(経っても)語り継いでいかないといけない」
多くの報道関係者が亡くなり、2021年、災害遺構として整備された「定点」でも、消防団員らが犠牲者を追悼しました。
災害遺構の整備にあたった安中地区町内会連絡協議会・阿南達也会長「(定点は)火砕流とはどんなものか日本全国に知らせる場所として守り切っていくべきところだと思う」
大火砕流が発生した午後4時8分には市内全域に追悼のサイレンが鳴らされます。