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どうなる?バレエなど古典作品のジェンダーや人種・民族のバイアス

2023年9月30日 14:07
どうなる?バレエなど古典作品のジェンダーや人種・民族のバイアス
芸術の秋。古典バレエの作品には、男女の役割分担、固定観念や民族や人種をめぐるバイアス(思い込み)が見られる作品が多くあります。舞踊評論家の東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科の海野敏教授に古典作品の傾向と国内外の新しい取り組みについて聞きました。

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――古典バレエにはジェンダーバイアスの観点でどのような特徴がありますか?

19世紀の古典バレエというのは、「男性が強くて女性が弱い」、「男性が女性を助けて、女性が男性に助けられる」という物語がとても多いです。例えば、「白鳥の湖」は悪魔に白鳥の姿に変えられてしまったお姫様を王子様が助けようとする話。「眠れる森の美女」は、悪い妖精に100年間眠らされたお姫様を王子様が助ける話。他にも、「海賊」、「パキータ」、「ライモンダ」など、有名な古典作品ですが、いずれも男性の主役が、危機一髪のところで女性の主役を助けるという話になっています。

もう一つ「女性が恋愛において、男性に裏切られる」というパターンが大変多いという問題があります。例えば、「ジゼル」という古典バレエの傑作は、主人公の女性が男性に裏切られたことを知ってショックで死んでしまうという話です。他にも、「ラ・バヤデール」、「ラ・シルフィード」といった名作も、いずれも男性が女性の主役に愛を誓っているにもかかわらず、他の女性と結婚してしまうというような話になっています。これらは悲劇のバレエですけれども、コミカルな場合でも「ドン・キホーテ」や「コッペリア」といったバレエにおいて、男性は恋人がいるにもかかわらず、恋人以外の女性に目移りをするというような展開になっています。

なぜこうしたジェンダーバイアスが生じてるかというと、いずれも100~150年以上前のヨーロッパの男性中心社会で作られたということが背景にあります。当時の観客というのは、男性のブルジョアジー(資本家階級)たちでした。そのため男性目線のストーリーになっていると言えると思います。ただこれは、バレエに限らず、古典の文学作品であったり、シェイクスピアのような演劇であったり、オペラであったり、あるいは日本の歌舞伎においても、そういったバイアスは存在しますし、ジェンダーバイアスだけじゃなくて人種や民族のバイアスというのもかなり含まれていることは指摘したいと思います。

――人種や民族に対するバイアスというのは、具体的にはどういうものなのでしょうか?

人種や民族のバイアスに関しては、この4、5年でしょうか、アメリカやヨーロッパのバレエ団でそれを解消すべくいろんな試みが行われています。例えば、「くるみ割り人形」という作品には、アラビアの踊り、中国の踊り、それからムーア人の踊りというのが登場するのですが、これらが人種や民族のステレオタイプを助長するということで、その衣装、化粧や身振りについて批判されました。その結果、欧米の多くのバレエ団では、演出を変えたり、振り付けを変えたりしています。2021年、ベルリン国立バレエ団では、そもそも「くるみ割り人形」の上演を中止するという決断をしました。

――国内でも欧米にならって演出の変更や上演を取りやめていくべきなのでしょうか?

まず、これらの古典作品は、150年以上前のヨーロッパで作られた作品であること、その時代を反映していることは、演じるダンサーの側も、見る観客側も知っていると思います。それを踏まえた上で、鑑賞する。もしかしたら、上演する側が「現代では不適切な表現が含まれています」といったようなアナウンスを事前にすることも必要かもしれません。

それから20世紀以降の100年間には、実はそういったジェンダーバイアスや人種・民族のバイアスに全くとらわれない新しいテーマの作品が無数に作られているということも申し上げたいと思います。多くの作品は、バレエ団のレパートリーとなって長く踊り続けられることがなかなかないのですが、その一部は長く上演される名作・傑作になっています。そういった作品には、例えば、民族の問題そのものを取り上げているとか、ジェンダーやセクシャリティ問題を中心に据えている、様々な哲学的なテーマを扱っていることがあります。ジェンダーやセクシャリティの問題に立ち入った作品は、英国ロイヤルバレエ団のレパートリーに多く、性暴力を描いた「インビテーション」や「ユダの木」、心中事件を扱った「うたかたの恋」、高級娼婦や愛人が主人公の「椿姫」、「マノン」、貴族の不倫を扱った「三人姉妹」や「オネーギン」などなど枚挙にいとまがありません。女性の性衝動を扱った「火の柱」、「赤い薔薇ソースの伝説」という作品もあります。ストリンドベリの「令嬢ジュリー」もイプセンの「人形の家」もバレエ化されています。

あるいは物語がなく、踊りを楽しむ「アブストラクトバレエ(抽象バレエ)」、「シンフォニックバレエ」というような作品もあります。このように実は、古典バレエだけではなくて、新しい作品がたくさんあることも見る人たちは知って楽しんでほしいと思います。

それから、古い物語の作品もダンサーの演じ方によって変わるということあります。例えば、女性が男性に守られるという古いタイプのストーリーでも、1990年代以降くらいからは、女性が弱々しく演じるのではなくて、たくましい力強い女性の姿を演じることが増えてまいりました。このように古い物語でも、新しい解釈で演ずるということがありますので、その点では見る方々には、古い作品を、新しいダンサーがどういうふうに解釈して演じているのかということにも注目してほしいと思います。

やはり「バレエ」というと、どうしてもクラシックな芸術と思われがちですけども、実はバレエというのは、現代社会の最先端の動向を取り込んで新しく変わっていく芸術だと思います。国内のバレエ団でも、新しい公演をたくさんやっています。例えば、この秋には、東京バレエ団とK-BALLET TOKYO(Kバレエトウキョウ)で「眠れる森の美女」という古典を代表する作品を新しく作る試みがあります。古い作品を受け継ぐということも重要ですけれども、新しい作品を作っていく、そのときに古い作品を作り直すということと、全く新しいコンセプトで作品を作る、二つの両輪でどのバレエ団も試みを進めているかと思います。

これはバレエに限らないかと思いますが、どの芸術でも伝統を受けついで革新を続けていくことが行われてるのだと思います。

また、古典バレエの作品は、例えば2時間の作品でも、物語を演じてる部分は、20~30分などと、かなり限られた時間です。それ以外の部分は、物語とは関係なく、踊りを見せるという風になっています。そういう点では、その踊りの美しさという点では、ジェンダーや民族・人種のバイアスと関係なく楽しめますので、純粋にダンサーたちの素晴らしい演技、美しい姿、動きを楽しむという視点からもバレエを見ていただければと思います。

いずれにしましても、やはりこのジェンダーの問題も、人種や民族の問題も、古典作品においては、難しい問題をはらんでいますので、今後、演ずる側、そして見る側ともに、議論を続けていければと思っています。それでぜひ劇場に行ってみて判断していただければと思います。


海野敏(うみの・びん)
1961年、東京生まれ。2004年より東洋大学社会学部教授。専門は情報学・図書館情報学。1992年より舞踊評論家として活動し、バレエとコンテンポラリーダンスの公演を中心に、批評記事、解説記事を新聞・雑誌、公演プログラム等に多数執筆。著書に「バレエの世界史」(中央公論新社, 2023)、「バレエ・ヴァリエーションPerfectブック」(新書館, 2022)、「バレエとダンスの歴史」(共著. 平凡社, 2012)など。