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長濱ねるが沖縄取材――“平和の詩”つづった8歳に聞く「これがへいわなのかな?」 1枚の絵から感じた「平和をポケットに」

2023年6月24日 12:29
長濱ねるが沖縄取材――“平和の詩”つづった8歳に聞く「これがへいわなのかな?」 1枚の絵から感じた「平和をポケットに」

多くの市民が巻き込まれた沖縄戦から78年。組織的戦闘が終わったとされる6月23日は「慰霊の日」です。俳優でタレントの長濱ねるさん(24)が、沖縄を取材。全国に広がった詩を書いた小学生に会い、どんな思いでつづったのか、平和とは何かを聞きました。

■長崎出身の長濱さん、沖縄の思い出

6月に沖縄を訪れた長濱ねるさん。この地には思い出がありました。

長濱さん
「私の父が沖縄に住んでいたことがあったので、平和学習に連れてきてくれたことがあって、防空壕を見に行ったり、資料館を見に行ったりしました」

長崎出身の長濱さんは、祖母から被爆体験を聞くなど、小さい頃から戦争に触れる機会が多かったといいます。

■「慰霊の日」式典で朗読、大きな反響に

長濱さんが会ったのは、去年の「慰霊の日」の式典で、自分が書いた詩を朗読した小学3年生の德元穂菜(ほのな)さん(8)です。

7歳だった当時の式典で「せんそうのはんたいはなに? へいわ? へいわってなに?」と読み上げました。「こわいをしって、へいわがわかった」というタイトルの詩は、大きな反響を呼びました。

長濱さん
「なんでこの詩を書こうと思ったんですか?」

穂菜さん
「美術館に飾られている絵がとてもかわいそうだったから、天国に届いてほしいって思って詩を書きました」

■惨劇を描いた「沖縄戦の図」がきっかけ

詩を書くきっかけになった巨大な絵が、沖縄・宜野湾市の佐喜眞美術館にあります。沖縄の惨劇を描いた「沖縄戦の図」(丸木位里・丸木俊、1984年)。長濱さんは絵を前に「子どもとか赤ちゃんがすごく目につきますね。苦しくなりますね」と言いました。

国内唯一の地上戦となった沖縄戦。20万人以上の犠牲者のうち、住民は約9万4000人でした。当時の県民の4人に1人が亡くなったといいます。「沖縄戦の図」は、生存者の証言を基に、人々がどのように犠牲となったかが描かれています。

長濱さん
「怒りを持っている表情もあれば、子どもに対する愛情の顔だったり、この土地で行われていたとは、どうしても想像がつかないですね。これを小学2年生当時の穂菜さんが見てどんなことを感じたのか…。私でさえ今、すごく苦しい気持ちになっているので」

■幼い心で…感じた恐怖と平和の尊さ

穂菜さんは、絵を見た感想を詩にしました。

「こわくてかなしい絵だった」

「たくさんの人たちが死んでいて/ガイコツもあった/わたしとおなじ年の子どもが/かなしそうに見ている」

「こわいよ/かなしいよ/かわいそうだよ」

「きゅうにこわくなって/おかあさんにくっついた/あたたかくてほっとした/これがへいわなのかな?」

「せんそうがこわいから/へいわをつかみたい/ずっとポケットにいれてもっておく/ぜったいおとさないように/なくさないように/わすれないように」

「こわいをしって、へいわがわかった」

平和をポケットに入れてもっておく。この言葉からは、幼い心が感じた戦争の恐怖と平和の大切さが伝わります。

穂菜さんの祖父、德元将己さん(78)は沖縄戦で父を亡くしました。毎年必ず、一家で慰霊に訪れています。

■「これが平和かな」と思える場面

長濱さん
「私が(詩の中で)すごく好きになったところが、『これがへいわなのかな?』って2つ挙げてくれています。詩を書いてから1年くらい経って、『これが平和かな』って新しく見つけたりしたことはありますか?」

穂菜さん
「家族でご飯食べに行ったりする時とか、みんなでお出かけする時に平和だなって思います」

■感動を呼び…全国から寄せられる手紙

穂菜さんの元には、詩を知った全国の人たちから多くの手紙が寄せられています。

将己さん
「旅行がきっかけで家にまで訪ねてきた方もいるんです。新潟県から」

長濱さん
「穂菜さんに会いに来たんですか?」

将己さん
「そうなんです。ものすごく感動したということで、ご夫婦でね。沖縄の戦争の悲惨さを子どもながらに感じて、本土の皆さんに理解してもらえたんじゃないかなと」

手紙には「おきなわのたいへんさもおしえてくれました」「平和を作るために一生懸命出来ることを探したい」といった言葉がつづられています。

■穂菜さんの祖父「1人でも多くに」

長濱さん
「穂菜さんのように戦争を知らない世代の皆さんが沖縄について勉強したり、沖縄に足を運ばれたり、そういうことについてどう思われますか?」

将己さん
「沖縄に来て何も感じないことはないと思います。平和学習も思うように進まない、広がらないんですよね。でも沖縄県には実態があるわけですから、見たり聞いたりして、それを1人でも多くに広げてほしいのが、沖縄に住んでいる自分たちの願いなんですよ」

沖縄から多くの人に広がった穂菜さんの詩。

穂菜さんは今年、『平和のポケット』という作文を書きました。「全国のいろんな場所へ平和のポケットが広がってつながっていく。年れいや、住んでいる場所がちがっても気持ちはおなじです」とつづりました。

その作文は「今日も、平和がみんなのポケットへ広がっていきますように」と結ばれています。

■取材を終えて…長濱さんが感じたこと

中島芽生アナウンサー
「取材をされていかがでしたか?」

長濱ねるさん
「沖縄の地に行って、見て、聞く。(そのことで)感じることがすごく多くて、本当に沖縄に行ってよかったなと思いました」

「私自身長崎出身で、被爆三世ということもあり、戦争を体験した人から戦争の話を聞く機会が多かったのですが、やはりどうしても聞くだけになってしまっていました」

「今回穂菜さんの詩が全国のさまざまな方の心を動かしているというのを知って、体験していなくても、自分が語り手として下の世代につないでいくことはすごく大切なことなんだなと感じました」

中島アナウンサー
「私も広島の被爆三世ですが、『こわいをしって、へいわがわかった』というタイトル、怖いから、私たち大人も目を背けてはいけないなと感じました」

(6月23日『news zero』より)