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あのとき食べた「ごはん」は?ツイート分析

2021年3月10日 12:38
あのとき食べた「ごはん」は?ツイート分析

東日本大震災から10年。当時被災地では何が起こっていたのか、今一度検証し、これからの大地震へどう備えるかを考えます。あのとき食べた「ごはん」は・・・?

災害の際にさまざまな情報発信ツールとして活用されるSNS。ツイッタージャパンとJX通信社が共同で、東日本大震災と熊本地震がおきた後の「食事」に関するツイートの分析を行いました。

発災後6日間で、「食」についてつぶやかれた2万件を超えるツイートから、被災者が当時、何を口にしていたのか読み解きます。


■東日本大震災・・・キーワードは「温かい食事」

分析によると、発災3日後ぐらいまでは、「何も食べられていない」と訴えるツイートが多く見られました。何か口にすることができた人でも、おにぎりやパン・リンゴ・おかきというツイートで、食事に困窮していた様子がうかがえます。

4日目からは炊き出しがはじまり、味噌汁・カレーなど「温かい食事」のツイートが増えてきます。中には「1週間ぶりに食べた野菜がプチトマト」、「生野菜が数週間ぶり」など野菜が不足していることをうかがわせるツイートもありました。


■はじめての「温かい食事」に涙を浮かべる人も

震災から1週間後の映像には、カレーがふるまわれた宮古市の小学校で、「食欲がなかったんだけどすごく良い香りがして並んでいただいた。」と話す人や、涙を浮かべながら食事をする人が映っています。

まだまだ気温が低い3月の東北で久しぶりに「温かい食事」を口にし、ほっとした人が多かった様子が伝わってきます。


■発災から2週間経っても“食糧不足”

一方で、震災から2週間以上経過しても、「カップラーメンばかりでおかずが食べたい」というツイートもあります。

津波による大きな被害を受けた宮城・石巻市では震災から2週間近く経っても配られたのは一人につきおにぎりとパン1つずつ。1日に1回しか食事が配られない避難所もあり、深刻な“食糧不足”が問題となっていました。石巻市は当時、人口のおよそ半分にあたる8万人が、食料の配給に頼らないといけない状況でした。

東日本大震災の被災地は広範囲に及び、交通が不便な沿岸部に物資が行き渡るのにだいぶ時間かかっていたことが、当時のツイートを通じてあらためてわかりました。


■熊本地震・・・5日目から「温かい食事」を求めるツイートはなくなる

一方で熊本地震です。

前震翌日から3日後までは、「断水の影響でカップラーメンが食べられない」などの声があり、おにぎり・乾パンなど保存食が中心です。

4日目からは「やっとまともな食事」「ビーフシチュー」などのツイートがあり温かい食事が行き渡っていたようです。

5日目からは温かい食事を求めるツイートはほぼなくなり、被害が広範にわたった東日本大震災と違って、早い段階で被災地に食事が行き渡っていることがわかります。


■スマホ・SNSの普及とともにつぶやきも“変化”

311から10年でデジタルツールは大きく普及しました。

スマホの普及率は、29.3%だったのが熊本地震の際には72.0%に。SNSの利用率は7.4%から48.9%へと大きく伸び、今や情報収集に欠かせないツールとなったことで、つぶやかれる内容も変化してきていることが、今回の調査で明らかになりました。


■#炊き出し・・・多くの人の目とまるつぶやきへ

ツイッタージャパンとJX通信社が行った「炊き出し」という言葉の分析によると、東日本大震災と比べ熊本地震では、積極的な情報発信が目立つようになったことがわかりました。

SNS上で多くの人の目に触れることが目的となり、#炊き出し #拡散希望 など、「ハッシュタグ」をつけたツイートが増え、きめ細かな情報発信ツールとしてツイッターの使われ方が進化しています。

いざという時の「命を守る・つなぐ」備えとして、ツイッターやSNSでの情報収集の方法を、今のうちに一度確認しておくことが大切です。