残してください 被爆ポンプです。
「死体がゴロゴロゴロゴロ転げとるんじゃけぇ。(原爆で)死んだ人が。子どもから大人から女から男から」
“あの日”多くの人が水を求めた。“命の水”となった、被爆ポンプ。
「たまたまポンプがあったわけ。喉カラカラよね。やっぱうれしかったね。水を見たんじゃけ」
JR広島駅の近くにある“古びたポンプ”。いまは、ほとんどの人が振り返ることはない。そのポンプに偶然気がついた小学生。児玉美空さん。
美空さん「『被爆ポンプです、残してください』って書いてあったので、なんで残してくださいなんだろう?って。永原さんって誰なんだろうって」
調べると、その人は、原爆資料館で亡き父の、被爆体験を伝える活動をしていた被爆2世の永原富明さん。
永原さん「後に残る世代の人たち、ぜひ伝えていく責任が私にはあります。このポンプは全部見ているんです。このポンプは絶対に残さなきゃいけない」
あの日の記憶を、伝えようとする被爆2世の永原さんと、原爆を知らない小学生。被爆ポンプを通じ始まった世代を超えた交流。
美空さん「資料館の中を案内していただいたり、(平和)公園を案内していただいたり」
原爆のこと。ポンプのこと。初めて知ることばかり。美空さんはそれを1冊の絵本にした。
美空さん朗読
「私は被爆ポンプ。昔は町の人が庭に水をまいたり、火事を消したりするのに使うてもらいよった。8月6日、8時15分。私の大好きじゃった広島の町がなくなった。たくさんの人が水をもとめて私のところに来られた。私は消したかった」
もう1人、ポンプがつなげてくれた人が―
被爆者の西村泰司さん。美空さんが描いた絵本のことを、新聞で知ったという。
西村さん「あんたの新聞みてびっくりしたんよねぇ。75年ぶりに出会うたんじゃけ、ポンプと。恩人じゃけありゃあ、挨拶にいったんよ。『ありがとうございました』って」
西村さんが原爆を体験したのは8歳。美空さんと同じ小学生のとき…
西村さん「(広島まで)歩いたわけよ。たまたまポンプがあったわけよ。喉カラカラよね。こーようにして、水を。ほんのしずくよ、落ちてくるのは。ダーっとじゃない。それでもねぇ、やっぱりえかったよ」
あの日からずっと、被爆体験を語ることはなかった。
西村さん「もう思い出すんよね。当時ね。いま考えてみんさい、死体がゴロゴロゴロゴロ転げとるんじゃけぇ。(原爆で)死んだ人が。子どもから大人から女から男から。それをまたいでいかんと、歩けんのじゃけ。それはね、地獄よ。それがねぇ、8歳でそういう地獄をみたわけじゃけぇ。それを蒸し返して何回も何回も話しとうない。それをたまたま、美空さんのおかげで、あの新聞のおかげで、モノ言おういう気持ちになった。あんたのおかげじゃ」
美空さん「ありがとうございます」
『8月6日を忘れてはいけない』
ポンプはそっと語りかける。その思いは、未来へと引き継がれていく。ずっと…
「被爆ポンプです。残してください 児玉美空」
2021年8月1日放送 NNNドキュメント’21
「残してください 被爆ポンプです。」(広島テレビ制作)を
再編集しました。