×

【川崎乳児殺人遺棄事件】「事件は自分の責任が大きい」…妊娠を誰にも相談せず1人で出産した女性の「元交際相手」の男性が語った後悔と決意

2024年8月3日 10:43
【川崎乳児殺人遺棄事件】「事件は自分の責任が大きい」…妊娠を誰にも相談せず1人で出産した女性の「元交際相手」の男性が語った後悔と決意

2年前、神奈川県川崎市のマンションのごみ置き場から袋に入った赤ちゃんが見つかった。まもなく逮捕されたのは、このマンションに住む赤ちゃんの母親(当時24)だった。妊娠を誰にも相談せず、自宅の浴槽で出産した我が子を浴槽に沈め殺害、遺棄した罪に問われた母親。その母親と元交際相手の父親が法廷で語ったのは、自らの未熟さから赤ちゃんを失った強い後悔と更生に向けた決意だった。(横浜支局・久保杏栞)

■「妊娠」誰にも言えず…自宅の風呂場で1人で出産

2022年4月のとある日の朝、川崎市の自宅マンションである女性A子さん(当時24)が激しい腹痛を感じていた。同居していた交際相手の男性さんは会社に出勤していて不在。“1人”だった。

「子供が生まれそうだ」――約2か月前に感じた胎動で妊娠に気づいたときから、誰にも相談せず“1人”で抱え続けていた。もちろん病院にも行っていなかった。

腹痛を感じ風呂場に移動したA子さんは、湯船に湯を張ると、その中で“1人”で我が子を出産した。約2500グラムの男の子だった。

A子さんはその後、水中に生まれた我が子を一旦引き上げたが再び水中に沈め殺害。遺体をごみ袋にいれるとマンションのごみ置き場に捨てた。

約3週間後、A子さんは死体遺棄の疑いで逮捕。その後、殺人の疑いでも再逮捕された。(検察側の冒頭陳述と証拠調べによる)

■母親のネグレクト、学校でのイジメ…事件につながった女性の幼少期の経験

事件から2年がたった2024年6月、横浜地裁で裁判がはじまった。一般の人が裁判に参加する裁判員裁判で審理が行われた。

A子さんはタイ人の両親を持つが、日本で生まれ育った。父親の記憶はほとんどなく、一緒に暮らしていた母親との会話もほとんどなかった。母親のA子さんに対する子育てはネグレクト=育児放棄ともいえる状態で、暴力をふるわれることもあった。A子さんにとって母親は「怖い存在」だった。

はじめて学校に行ったのは小学校5年生のとき。それまでテレビを見て自力で言葉を覚えていたが、もちろん勉強にはついていけなかった。いじめも受けた。

中学校に進学しても状況が改善することはなく休みがちの学校生活。高校にもなんとか進学したが母親に隠れて中退した。

母親に何かを相談したことは一度もなく、母親がどうにかしてくれるとも思えなかった。そもそも相談の仕方すらわからなくなっていた。(弁護側冒頭陳述、被告人質問による)

■「どうしよう」――おなかに感じた予期せぬ違和感

A子さんは高校中退後、頻繁に仕事を変えて生活する中、SNSでBさんと出会った。のちに赤ちゃんの父親となる男性だ。

2人はまもなく交際を開始。翌年には、東京に就職することになったBさんと川崎市で同居生活がはじまった。

同居生活がはじまる直前、A子さんはある異変を感じていた。生理が来なくなり、おなかが重く感じた。しばらくしてから感じるようになった胎動で妊娠していることを確信した。

「どうしよう」――これから社会人になるBさんに迷惑はかけられない。誰にも相談できなかった。自分が妊娠しているという事実に向き合うのが怖く検査もせず、病院にも行かないまま、おなかはどんどん大きくなった。

「なんでこんなことになったかと死にたくなった」「どうしようということばかりで頭が働かなかった」「ただひたすら動揺していました」(被告人質問より)

証言台に立ったA子さんは、時々涙を流し声を震わせながら、当時の心境をこう語ると、赤ちゃんへの謝罪を口にした。

「最低最悪なことをして申し訳ないという思いでいっぱい」「誰かに相談して適切な出産を考えてあげるべきだった」「毎日自分のやったことを後悔していてこれからも忘れることはありません」(被告人質問より)

■「罪に問われるかは別として責任は同じ」――赤ちゃんの父親の後悔と決意

法廷で後悔を語ったのは母親のA子さんだけではなかった。A子さんの当時の交際相手で赤ちゃんの父親のBさん(24)も法廷で後悔の気持ちを吐露した。

「事件はかなり自分の責任によるところが大きい。自分がしっかりしていれば防げた」「罪に問われるかどうかは別として、責任は同じくらいある」(証人尋問より)

BさんはA子さんとの事件当時の関係について、「相談し合える関係性ではなかった」と振り返る。就職を間近に控え、余裕がなくなっていたというBさんは、A子さんに気を使えなかったという。ケンカのときも意見を言うのはBさんばかり。A子さんが自分の意見を言うことはなかった。

こうした関係性などからA子さんが「本心を外に出せなかったこと」が事件につながったと考えるBさんは、「もっと自分が(A子に)向き合っていれば、A子が自分に相談できていれば、自分の子は生きていたはず。A子と子供に申し訳ない」「A子が悩みや心配を正直に話せる環境を作っていきたい」と語った。

Bさんは、A子さんが悩みや不安を吐き出せる関係を構築しようと、A子さんと手紙のやりとりをはじめ、有給を取って毎月面会に駆けつけた。

幼少期からこじれていたA子さんと母親の関係性を改善しようと、面会にはA子さんの母親も誘った。気づくと、A子さんのもとには、日本語が得意ではないA子さんの母親が懸命に綴った手紙が届くようになった。

A子さんには、社会福祉関係者によって、更生に向けた支援計画が作られたが、関係者の証言によると、計画の策定にはBさんも参加。A子さんのこれからの生活について話し合ったといい、Bさんについて「福祉についての疑問を自身で調べるなど、真摯に取り組んでいた」と評価している。

Bさんは法廷でA子さんの性格について問われると、涙をこらえながらあるエピソードを語った。

「あるとき、2人で街を歩いていたときに、紫色のランドセルを持っていた小学生に出会いました。その子のランドセルを見ながらA子が、『今はいろんな色のランドセルがあるんだね。自分の子供には好きな色を背負わせてあげたいな』と。A子は子供に対して殺して良いと思う人間ではありません」

Bさんの話を聞いていた裁判員の中には目を赤くし、すすり泣く人もいた。2人は事件の約1年後に結婚。関係性は交際相手から夫婦に変わった。

■「周りのサポートを受け入れて」

「懲役3年、執行猶予5年」――7月中旬、A子さんに言い渡された判決は、【懲役6年】の求刑に対し、異例とも言える【執行猶予つきの判決】だった。この判決の瞬間、A子さんの釈放が決まった。

出まれたばかりの我が子を浴槽に沈め殺害、遺棄した罪に問われたA子さん。

弁護側は、A子さんは出産後に我が子を助けようとしたが、気を失い結果的に死亡してしまったと主張。殺そうという意思はなかったとして殺人については無罪を訴えた。遺棄については、幼少期の経験などが原因で周囲に相談ができず“1人”で抱え込んでしまったことが背景にあるとしたが、現在はB氏のサポートなど更生への環境も整っていると主張。執行猶予付き判決が相当だと訴えた。(弁論より)

一方、検察側は、B氏などによる支援を考慮したとしても、頼ろうと思えば頼れる人がいた中で妊娠・出産を隠そうと我が子を殺す決意していて、強い非難に値すると主張。A子さんに対し【懲役6年】を求刑していた。(論告より)。

両者の主張に対し、横浜地裁は──

「強い非難に値するとはいえない」「実刑の選択は酷である」

判決では、我が子を殺害し遺棄したという一連の事実が認められた一方で、事件の背景にはA子さんが直面した幼少期の経験やA子さんの<境界知能>という特性があるとした。法廷で証言した精神科医によると、<境界知能>とは神経発達症のうちの1つで、孤立しやすいといった特徴や後先を考えず行き当たりばったりの対応をしてしまう特性があり、周囲の理解やサポートが欠かせないという。

事件の背景にあったA子さんが抱えていたこうした問題に加えて、A子さんが反省し赤ちゃんに対し謝罪の気持ちをあらわにしていること、Bさんの支えなどが約束されていることも考慮された。

最後に裁判長は、A子さんに向かってこう呼びかけた。

「法廷で述べたことを守って、周りのサポートをきちんと受け入れられれば再犯の心配のない正しい生活が送れると思います」

A子さんは「はい」と返事をすると、真っ赤にした目をハンカチでぬぐった。その声はふるえていたが、はっきりと法廷に響いた。

8月2日、A子さんの執行猶予判決は確定した。

■生後直後に虐待で死亡の子どもは19年間で「176人」うち9割超は「遺棄」

こども家庭庁の専門委員会でとりまとめられた報告書によると、虐待によって生後24時間のうちに死亡した子どもは、2003年から2022年までに176人確認されている。加害者は9割近くが母親だった。さらに、176人のうち9割超にあたる161人が生まれてすぐに遺棄されているという。

虐待によって死亡する0歳の子どもの多くは、今回の事件と同様に、妊娠していることをパートナーや家族にすら相談できず、孤独の中で出産している事例が多いと専門委員会は分析する。

こうした特徴から、「まずは、医療期間の受診や関係機関とのつながりをもち、必要な支援を受けるスタート地点に立ってもらうことが重要」とし、妊婦本人やそのパートナーなどの当事者たちが若者、外国人、障害のある人など、様々な背景を持つ可能性があることを配慮したうえで、当事者に妊娠や出産に関する正確な情報が届くように情報提供する必要があると提言している。