さよなら中野サンプラザ…閉館に密着「ありがとう」伝えたくて… 50年の歴史に幕 アーティストも観客も“思い出の場所”
1973年にJR中野駅前にオープンした「中野サンプラザ」が2日、50年の歴史に幕を下ろしました。地域の人だけでなく、アーティストやそのファンなど多くの人に愛されてきた歴史ある施設の閉館に、最終日は「感謝の言葉」があふれました。
地元の人だけでなく、アーティストやそのファンにも愛された「中野サンプラザ」。感謝の声に包まれた、その最後の1日を取材しました。
中野区民
「なくなっちゃうのはさみしい」
アーティストのファン
「中野サンプラザ、長い間お疲れさまでした」
1973年、東京・中野区、JR中野駅の目の前に誕生した「中野サンプラザ」。ボウリング場やレストランなどがある複合施設として愛されてきました。
そのステージには、名だたるアーティストが立ってきました。“アイドルの聖地”とも呼ばれ、数多くのアイドルが目指した場所です。
成人式の会場として人生の節目も見守ってきました。2009年には、「Aqua Timez」が登場し、新成人たちは熱狂していました。
この場所でお気に入りのアーティストの歌を聴いた人は、その歌声が今でも記憶に残っているといいます。
30代
「好きなバンドのライブに初めて来たのが、中野サンプラザだったので。その日が高校のテニス部の大会の日で、優勝した夜にここに連れてきてもらって」
松浦亜弥ファン
「このタオルと一緒に、ずっと中野サンプラザにあやちゃん(松浦亜弥さん)のライブで。(閉館前に)絶対に来ないといけないなと思って来ました」
近くの店にとっても、サンプラザは特別な存在でした。
甘味処梅家 岡村百子さん(50代)
「主な催し物のスケジュールなんですけど、店が混みそうな日を調べて、『サンプラザシフト』を組んで人員増強したり」
20年以上花を届けてきた生花店 花月 渡邊明恵さん
「ライブとかコンサートとか配達していました。当たり前のようにいつもあったから、なくなるのが想像できない」
閉館が迫った先月30日には、南こうせつさんやイルカさんたちがコンサートを行いました。
シンガーソングライター・イルカさん
「中野生まれ、中野育ちなんです。この中野サンプラザのステージに立たせていただく時には、いつも感慨深い気持ちで」
中野区を流れる川を歌った曲「神田川」も最後の舞台に花を添えました。
シンガーソングライター・南こうせつさん
「この中野サンプラザでいろんなコンサート、いろんな人と共演したり…このホールの思い出は尽きないです」
アーティストにとっても、観客にとっても“思い出の場所”なのです。
コンサートホールの外には、中野サンプラザへの感謝を伝える寄せ書きがあり、思い思いのメッセージがびっしりと書かれていました。
「『ありがとう』という気持ちを伝えたくて来ました」という中野区で生まれ育った人(30代)は、「大好きサンプラザ ありがとう」というメッセ―ジを書いていました。
そして2日、閉館の日を迎えました。
甘味処梅家 岡村百子さん(50代)
「おはようございます。今日でサンプラザ閉館でさみしいですね」
岡村さんは商店街の店に声をかけ、閉館を知らせる紙を貼っていました。ライブの「お知らせ」掲示は商店街の恒例行事でしたが、これもしばらく見納めです。
晴天に恵まれたこの日、中野サンプラザ前の広場には、閉館を惜しむ多くの人が集まっていました。その中には、30年ぶりに訪れたという夫婦の姿も。
中野サンプラザで結婚式を挙げた夫婦
「僕たち30年前に結婚式を挙げたので、閉館するのさみしいなと写真を撮りに来ました」
「地方から来ても分かってくれるかなと思って、ここにしました」
「さみしいですね」
“終わりの時間”が近づくにつれ足を運ぶ人の数は増え、午後10時すぎに閉館セレモニーは始まりました。花束を渡したのは歌手のサンプラザ中野くん(62)です。
最後の姿を目に焼き付けようと、正面広場に集まった多くの人。それぞれの思いとともに“終演”の時を待ちます。
サンプラザ側の「みなさま50年間、ありがとうございました」というあいさつに、集まった人たちからは「ありがとう!」との声が次々に飛び、感謝に包まれながらその歴史に幕を下ろしました。2028年に大型複合施設として生まれ変わる予定です。