「アジア甲子園大会」12月にジャカルタで初開催 元ソフトバンク監督の工藤公康さんがエール “甲子園を輸出”する一大プロジェクト 仕掛け人は三重・いなべ市出身の柴田章吾さん
プロ野球・福岡ソフトバンクホークス元監督の工藤公康さん(61歳/名古屋市出身)が20日、元巨人の柴田章吾さん(35歳/三重・いなべ市出身)と東京都内で対談。柴田さんが企画し、開催まで2か月を切った「第1回アジア甲子園大会2024」(12月17日~21日 インドネシア・ジャカルタ)に向けエールを送り、全面協力する意向を示した。
難病を乗り越えた経験がプロジェクト実現の原動力に
2人は共に、愛工大名電高校野球部の出身。工藤さんは1981年、柴田さんは2007年に夏の甲子園に出場している。
柴田さんは、中学3年生の時にベーチェット病という1万人に1人の難病を発症しながらも野球を続け、甲子園出場を果たした。その後、読売巨人軍の育成選手や外資系コンサルティング勤務を経て、一般社団法人 NB.ACADEMYを設立。自らの「甲子園に出たいという夢があったから病気を乗り越えられた」という経験をもとに、甲子園の熱狂と感動をアジア全域に広めようと「アジア甲子園大会」を企画。今年1月からは生活拠点をシンガポールに移し、大会の普及・拡大に向け尽力している。
工藤さんは自らの高校時代を振り返り「甲子園球場に足を踏み入れた時、球場に差し込む光を見て、別世界に来た感覚を抱いた。憧れの聖地はやはり特別な場所だった」と語る。
工藤さんから「甲子園を輸出するという一大プロジェクト。普通は、やりたいと思っても最初の一歩を踏み出せない。その行動力はどう育まれたのか?」と質問された柴田さんは、「難病を乗り越えた原体験だと思う。治らない病気を克服するための一歩は、とてつもなく怖かった。30分のジョギングを10分増やすだけで再発し、パスタを食べるだけで腹痛に襲われた。何が正解かも見えない中、試行錯誤して痛みと戦ってきたあの経験が今に活きている」と答えた。
これを聞いた工藤さんは「この熱い思いと行動力が、沢山の賛同者が集まり、周囲を巻き込んできた理由ではないか。今、野球といえばみんなアメリカ(MLB)を目指す中、アジアに甲子園を輸出し、ムーブメントを起こそうという発想もおもしろい。本大会をきっかけに、まだ野球に興味のないアジア地域の人たちにその素晴らしさを知ってもらえたら、日本(NPB)の価値も上がるのでは」と語った。
「アジア甲子園」で野球を通じた国際交流を
「アジア甲子園」が日本の野球界に与える影響について、工藤さんは「日本も少子化で野球人口が減っていて、高校野球界の未来は決して明るくない。アジア圏から日本に渡り、甲子園を志す子どもたちが増えれば、野球を通じた国際交流の機会も生まれる。結果、NPBにチャレンジする選手が出てきたらすごいことになる。柴田さんが考えていることは、将来、日本の野球界を救うプロジェクト。衰退が進んだ10年後に始めても、もう遅い」と話し、柴田さんに対して「できる限り協力したいと思っているので、1人で背負いすぎずに何でも相談してほしい。この大会が大きくなっていくことが楽しみだし、成功を祈っている」と伝えた。
この言葉を受けて柴田さんは「海外での開催に向けて困難も多いが、工藤さんの後押しに勇気づけられた」としつつ、「何としても本場の甲子園を想起させるチア、吹奏楽を派遣したいと考え、ある名門校と話し合いを重ねていたが、当初の予算になかった約1500万円の旅費問題を解決できず、実現に至らなかった。残り2か月、有志で来ていただける方をなんとしても見つけないと」と課題を話した。
日本の高校球児が甲子園で味わうような感動体験をアジアで再現することで、野球を通じた国際交流を目指す「アジア甲子園」は、日本野球連盟(NPB)や日本高野連からも承認を得て開催。第1回大会にはインドネシア各地から14歳~18歳までの8チームが出場する。日本の元プロ野球OB、都市対抗出場選手らで構成される“元甲子園球児代表チーム”や応援団が派遣され、エキシビジョンマッチも行われる予定。
大会公式HP:https://event.nbacademy.jp/asiakoshien