上皇ご夫妻 バルト3国訪問 苦難の歴史と文化に触れた旅【皇室 a Moment】
年表をみると、日本では1989年1月に平成がスタートし、翌年11月に即位の礼が行われます。この間、ベルリンの壁の崩壊があり、リトアニア、ラトビア、エストニアの独立宣言があって、1991年12月にソ連邦が消滅します。平成の皇室の活動の始まりと、ソ連崩壊による秩序の大きな変化とが、ぴったり時期が重なります。
1991年に上皇后さまが詠まれた和歌があります。
鳥渡る
秋空を鳥渡るなりリトアニア、ラトビア、エストニア今日独立す
歌からも、バルト3国が独立を回復していく過程を大きな関心をもって見守られていたことが分かります。
また、上皇さまはエストニアでのスピーチで独立回復の歴史に触れ、「私が即位いたしましたのは1989年のことでありましたが、この年、バルト3国においては、タリンを起点として3か国を繋ぐ「人間の鎖」が出現し、世界の注目を集めました。そして、1991年、その3国が、旧ソ連邦からの初めての独立国になったとの報せに接し、歴史の大きな流れに深い感慨を覚えたことを思い起こします」と述べられています。
「人間の鎖」というのは、約200万人が600キロにわたって鎖のように手をつなぎ、独立の意思をアピールしたことを指しています。そのリトアニア側の出発点が「民俗祭」をご覧になった大聖堂前の広場でした。
3か国の訪問で印象的だったのは、上皇后さまの装いです。それぞれの国旗の色を衣装に取り入れられていました。エストニアは青・黒・白を、ラトビアはエンジと白を、帽子と洋服に取り入れ、リトアニアでは黄・緑・赤の3色を胸元のコサージュにあしらわれていました。各国に心を寄せる、細やかな心配りだったと思います。
■即位の礼で来日していたウクライナのゼレンスキー大統領
そして、バルト3国と同様に旧ソ連に支配された苦難の歴史があるウクライナが、いま、ロシアの激しい武力侵攻にさらされています。あまり知られていませんが、ゼレンスキー大統領は2019年の即位の礼のために来日し、天皇皇后両陛下は大統領の祝意を受けられています。ラトビアで思いがけないことを言われたのを思い出します。「日本とラトビアは近いです。間にあるのはロシア1国ですから」と。その伝でいけば、ウクライナもまた近く、遠い国ではないんですね。