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【皇室コラム】天皇陛下とウクライナのゼレンスキー大統領

2022年3月4日 21:03
【皇室コラム】天皇陛下とウクライナのゼレンスキー大統領
即位の礼に出席したウクライナ・ゼレンスキー大統領夫妻/2019年10月22日 皇居・宮殿

ロシアのウクライナ侵攻が激しさを増しています。首都キエフに留まるゼレンスキー大統領の姿がニュースで伝えられますが、2年半ほど前に来日して天皇皇后両陛下に会われていることはほとんど知られていません。2019年10月。即位の礼の時です。一方、ロシアの大統領を皇室が迎えたのは旧ソ連を含めて3人。皇室と旧ソ連圏の接点を振り返ります。

(日本テレビ客員解説員 井上茂男)

【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第15回 <天皇陛下とウクライナのゼレンスキー大統領>

■即位の礼で来日していたゼレンスキー大統領

映像があります。2019年10月22日夜。即位の礼の祝宴「饗宴の儀」を前に、天皇皇后両陛下がウクライナのゼレンスキー大統領夫妻をにこやかに迎えられている場面です。天皇陛下が大統領と握手をされ、皇后雅子さまもにこやかに応じられています。

「饗宴の儀」には164の国や地域、国際機関の代表ら約250人が出席しました。ゼレンスキー大統領は夫人と共に両陛下への挨拶を終えると、賓客の流れに沿って「即位礼正殿の儀」が行われた「松の間」で「高御座(たかみくら)」を見学し、「かすご鯛の姿焼き」「茶碗蒸し」などが並んだ色鮮やかな日本料理を楽しみました。

映像は両陛下や大統領の柔らかな表情を記録し、心の通い合いが伝わってきます。この日の大統領は正装の燕尾服でした。いまテレビに映る大統領は無精ひげにカーキ色のTシャツですから、平時の正装はうそのようです。

■スーツとタキシードに分かれたゴルバチョフ大統領の晩さん会

正装――で思い出す光景があります。1991(平成3)年4月。旧ソ連のゴルバチョフ大統領を国賓として迎えた宮中晩さん会の光景です。出席者153人。当時過去最多だった英国のエリザベス女王の時と同じ人数でした。宮中晩さん会は毎回ほぼ同数が招かれます。それが最多に並んだのはソ連の最高首脳の来日が日ソ交流史上初めての出来事で、閣僚は全員出席、経済関係者の欠席も少なかったからでした。

異例だったのはドレスコードです。出席者の服装は統一するのが国際慣習ですが、礼服を着る習慣のないソ連側はスーツにネクタイ、日本側はタキシード、イブニングドレスでした。会場の隅で取材しながら、互いの立場を尊重し、同じテーブルにつこうという姿勢を象徴しているように感じたものでした。皇太子時代の天皇陛下はライサ大統領夫人の左隣でもてなされました。ソ連各地で民族問題が噴出する中、演奏する音楽からロシア民謡を外す配慮もありました。

晩さん会のスピーチでゴルバチョフ大統領は、ソ連では日本の詩歌や古典文学が愛され、日本人にもロシアの古典文学が深く理解されていることに触れて「私たちは精神的に近い関係」と強調する一方、「天皇陛下のご在位の元号としてまことにふさわしく選ばれた『平成』――『平和の形成』が、ソ連と日本の関係にとってもその通りとなることを希望させていただきたいと思います」と平和への思いを語りました。

■エリツィン大統領、プーチン大統領も来日

ゴルバチョフ書記長がソ連共産党の一党独裁をやめ、大統領に就いたのは来日の前年です。しかし経済の混乱は収まらず、来日の8か月後にソ連は消滅し、ロシア連邦が誕生します。そして1993(平成5年)10月、国賓としてロシア初代のエリツィン大統領が来日し、2000(平成12)年9月と2005年(平成17)年11月にはプーチン大統領が公式実務訪問で来日、それぞれ天皇陛下だった上皇さまが会見されています。

宮中晩さん会のスピーチでエリツィン大統領はシベリア抑留で亡くなった人たちに「深い哀悼の意」を示し、「ロシア大統領の名において全体主義が犯した罪に対して謝罪します」と述べました。いま世界注目のプーチン大統領は、2000(平成12)年の訪問の際、上皇さまに香淳皇后逝去のお悔やみを伝え、「両国の関係は改善されており、さらによくなるよう努力したい」と述べています。上皇さまはプーチン大統領を宮中午さんでもてなされました。

3人の大統領が繰り返した招請があります。天皇皇后両陛下のロシア訪問です。平和条約が結ばれていないことなどから実現していませんが、今回の侵攻でまず考えられなくなりました。

■上皇ご夫妻 バルト三国への訪問

2007(平成19)年5月。天皇皇后だった上皇ご夫妻はリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国を訪問されました。前後のスウェーデン、英国訪問が博物学者リンネの生誕300年行事に出席されるためでしたから「科学の旅」と言われますが、バルト三国訪問は「旧ソ連邦内への初の歴史的な訪問」(川島裕・元侍従長)でした。

3か国とも1991(平成3)年のソ連消滅で独立を回復した国々です。帝政ロシアからの独立を宣言しながらソ連に併合され、先の大戦では独ソ戦の戦場となって多くの命が失われた苦難の歴史があります。上皇ご夫妻は戦争犠牲者の追悼施設を訪ねて供花し、ラトビアでは旧ソ連の占領をテーマにした「占領博物館」を訪問、シベリアの強制収容所の再現コーナーなどをご覧になりました。

ラトビアでご夫妻は日本語を学ぶ学生たちとも懇談されました。終了後に両陛下の印象を聞いた関係者から「日本とラトビアは近い。間にあるのはロシア一国ですから」と言われたことを思い出します。その伝でいけばウクライナも同じですからバルト三国のように親近感を覚えます。

■天皇陛下 厳しい現実を感じた「ベルリンの壁」

今の両陛下は「戦争を知らない世代」です。しかし、英国留学中に東側のチェコスロバキア(当時)やハンガリーを訪れ、1987(昭和62)年には西ドイツ(当時)を訪問して「ベルリンの壁」を見ていますから、東西冷戦の空気はご存じです。ベルリンの壁を視察された時には「立場上コメントは差し控えたい」としながらも「国際政治の厳しい現実を見たような気がします」と話されました。皇后雅子さまは幼少期をモスクワで過ごされています。

戦争の傷痕も現地で目にされています。1995(平成7)年1月のクウェート訪問の時です。イラク侵攻から4年が経っても街には焼けただれた戦車が残され、高い時計塔は砲弾で撃ち抜かれて穴が開いたままでした。立ち寄った博物館の中は黒焦げで、散乱して足の踏み場もありませんでした。未曽有の阪神・淡路大震災の直後でもあり、一行は言葉なく沈んだ空気に包まれていたことを覚えています。

■モンゴルでは日本人抑留者の慰霊碑に供花

2007(平成19)年7月、陛下は旧ソ連の影響下にあったモンゴルも訪問されています。旧ソ連によってシベリアに抑留された日本人のうち約1万4000人がモンゴルに送られ、約2000人が亡くなった国です。陛下は首都ウランバートルの郊外にある日本人抑留者の慰霊碑を訪ねて供花し、抑留経験のある在留邦人の話を聞かれました。

2016(平成28)年2月、56歳の誕生日を前に皇太子時代の陛下はこう話されています。「戦争を知らずに、平和の恩恵を生まれたときから享受してきた私たちの世代としては、各種の展示や講演、書物、映像など、過去の経験に少しでも触れる機会を通じて、戦争の悲惨さ、非人道性を常に記憶にとどめ、戦争で亡くなられた方々への慰霊に努めるとともに、戦争の惨禍を再び繰り返すことなく、平和を愛する心を育んでいくことが大切だと思います」。発言の背景には過去の見聞があると思います。

■「戦争のない時代」に涙ぐまれた上皇さま

ウクライナの惨状に、上皇さまが涙ぐまれた会見が思い浮かびました。退位が近づいていた2018(平成30)年12月です。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」。ゴルバチョフ大統領の言葉を借りれば「平和の形成」です。そのソ連が消滅して誕生したロシアがいま戦争を起こしています。平成の30年間の積み重ねは何だったのかと怒りが込み上げます。

ウクライナは日本の1.6倍の国土に4160万人が暮らす国です。日に日に犠牲者が膨らみ、100万人を超す避難民が国外に逃れ、世界中で反戦の声が上がっています。両陛下も、上皇ご夫妻も、テレビのニュースで現地の様子を注視されているそうです。日本とは間にロシア一国があるだけの"近い国"です。即位の礼で来日したゼレンスキー大統領とウクライナの人たちをずっと応援し続けたいと思います。



【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説員。元読売新聞編集委員。皇室ジャーナリスト。1957年東京生まれ。
読売新聞社会部の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご成婚や皇后さまの適応障害、愛子さまの成長などを取材。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。

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