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ノーベル平和賞 坪井直さんに“見てほしかった” 核廃絶へ…オバマ氏との握手「謝罪は一切いりません」

2024年12月8日 9:45
ノーベル平和賞 坪井直さんに“見てほしかった” 核廃絶へ…オバマ氏との握手「謝罪は一切いりません」

今月10日、ノルウェー・オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に向け、日本被団協の代表団が8日、羽田空港から出発します。式でスピーチする田中煕巳代表委員は出発前、「先頭に立ってやった仲間がいないというのが残念」と話していました。その仲間の一人が、3年前に96歳で亡くなった坪井直(すなお)さん。「ネバーギブアップ」を口癖に、核廃絶運動の先頭に立ち続けた人物です。

■「お前も人間じゃないか。俺も人間じゃ」

「男女とか年とかいうものも、みな私には(関係)ない」
「どんな人間に対しても『お前も人間じゃないか。俺も人間じゃ』と手が繋げるようにならんにゃいけん。そのためには、“あきらめる心”があってはいけない」

日本被団協の代表委員を長年務めた坪井直さんは、核兵器廃絶の世界のため、魂の叫びを続けてきました。

■20歳で被爆 道路に刻んだ「ここに死す」

教員をしていた坪井さんが本格的に被爆者運動を始めたのは、退職後、60代になってから。特に力を入れていたのが、被爆体験の証言活動です。

坪井さん
「忘れもしません。右の目玉がポロンと出てね、頬へぶらさがっとる(人がいた)。歩くたびにポロンポロンと目玉が動きよる」

坪井さんが被爆したのは、20歳の時。頭から背中にかけて大やけどを負い、仮の救護所がある御幸橋に、向かいました。身近に感じた死。拾った石ころで「坪井はここに死す」と道路に刻みました。

その後、広島湾に浮かぶ似島の野戦病院に運ばれ、意識を失っていた坪井さん。1か月以上、生死の境をさまよった末に一命をとりとめました。

「せっかく生きたんだから。皆さんの力で生きたんだから、お返ししたいいうのは、それはずっと続くよ」

■“被爆者は長生きできない” 結婚を反対され…

しかし、原爆の苦しみは続きました。被爆者ではない恋人・鈴子さんとの結婚を、周囲から猛反対されたのです。“被爆者は長生きできない”という、そんな偏見からでした。

二人は睡眠薬を飲み、心中を図りますが、ふと起きて目が覚めてしまいました。

坪井さん
「あれ、“俺、死んでない”と。あの世で一緒になろうと誓いあって(薬を)飲んだけど、あの世でも一緒にさせてくれないのかと」

出会いから7年半がたってから、ようやく二人は結婚。三人の子どもを授かり、坪井さんは校長までつとめ上げ教員生活を全うします。しかし、鈴子さんは1992年、脳出血のため59歳で急逝しました。

鈴子さんが亡くなってから4年、墓前で手を合わせた坪井さん。「家内がね、うんと支える力は大きかったろうと思う」と話し、さらに被爆者運動へ力を入れていくことになります。

■「エノラ・ゲイ」復元展示 あらわにした怒り

坪井さんが、怒りをあらわにした出来事がありました。それは2003年、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」が復元され、アメリカ・スミソニアン航空宇宙博物館に展示されたときのこと。原爆の被害については一切触れられていませんでした。

坪井さん(当時78歳)
「大声をあげて叱り飛ばしたいよ。なんでそんなことをしたんだと」
「原爆の被害状況と、両面を展示して、初めて歴史の真実が明らかになるんですよ」

その一方で、坪井さんの身体も、悲鳴をあげていました。大腸がん、前立腺がん、狭心症…。生涯、検査と治療は欠かせませんでした。時には、「もうそろそろ、逝くべきでしょうね」と笑いながら話すこともありました。

■前に進むため「謝罪は一切いりません」

そして訪れた、2016年5月の歴史的瞬間。オバマ大統領(当時)が、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問し、被爆者らが見守るなか、“核なき世界”を追求するというスピーチをしたのです。

オバマ大統領(当時)
「私たちには歴史を直視し、こうした苦しみを二度と繰り返さないために、何をしなければならないかを自問する共通の責任がある」

スピーチを聞くその最前列には、坪井さんの姿がありました。かつて「米国を恨む思い、憎しみ」を抱えていた坪井さんでしたが、演説の後、歩み寄ってきたオバマ大統領と握手を交わしました。

坪井さん
「はじめに言いますが、謝罪は一切いりません(と言った)。とにかくみんなが仲良くして、平和を作らにゃいかん」
「あの大きな国を統率しとる大統領が、わざわざ来て耳を一応貸したんだから、まず一歩としては私は評価したい」

坪井さんは、憎しみを胸に秘め、前に進む道を選んだのです。

   ◇

2018年6月、93歳になった坪井さんは、取材に対して、「核兵器が無くなったらそれでいいのか。それだけで終わっちゃいかん」と話しました。

取材が終わると、カメラの前で「今日はいい日だった」とこぼした坪井さん。戦い続けた96年の生涯で、私たちが最後に聞いた言葉でした。

【広島テレビ・越磨萌香 ノーベル平和賞に思うこと】

日本被団協がノーベル平和賞を受賞──。嬉しいニュースが舞い込んできたとき、「この光景を坪井さんに見ていただきたかった」。そんな思いが募りました。

核兵器廃絶運動の先頭に立って活動してきた坪井直さんは、3年前に他界されました。2019年以降、体調が悪化した坪井さんは表舞台にほとんど出なくなり、私は、直接会うことが叶いませんでした。

しかし、アーカイブとして残っていた数々の映像からは、想像を絶するほどの辛い体験をしたにも関わらず、誰に対しても温かく、飾らない坪井さんの人柄やチャーミングな一面がひしひしと伝わってきました。

世界の現状に目を向けると、被爆者のこれまでの歩みに反して、核兵器の近代化が進み、争いは絶えず、世界が核の脅威に揺れています。坪井さんが人生をかけて訴え、後世に遺した「ネバーギブアップ」という言葉の重みはさらに増していると感じます。

放送後、坪井さんのご家族から手紙をいただきました。坪井さんは最期まで前向きで、「ワシはあきらめない。そしてあんたらもあきらめるな」と後に続く人たちにエールを送られていたそうです。この度のノーベル平和賞受賞により、坪井さんの“あきらめない”姿が今を生きるわたしたちの心に一層深く刻まれ、核なき世界の実現に向けて一歩前進するよう願っています。

最終更新日:2024年12月8日 14:16
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