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脳裏に浮かぶ置き去りにされたペットたち 原発で働いていた男性の「罪滅ぼし」

2025年3月10日 14:10
脳裏に浮かぶ置き去りにされたペットたち 原発で働いていた男性の「罪滅ぼし」
避難区域で撮影されたペット

2011年3月、世界最悪レベルの原発事故が福島県の東京電力福島第一原子力発電所で起きた。原発周辺に住んでいた人たちは突然に避難を余儀なくされたなか、多くのペットが町に置き去りにされた。「人間がつくった原発のせいで…」福島県浪江町の赤間徹さん(62)は、あの時、故郷でペットがさまよい続ける悲惨さが今も目に浮かぶ。せめてもの罪滅ぼし。そんな感情がいまも赤間さんを突き動かしている。あれから14年、「幸せになってほしい」と原発事故の被災地に取り残された犬や猫1千匹あまりを保護し、新たな里親に譲り渡してきた。赤間さんは全国の災害に思いをはせながら「ペットも家族、一緒に避難してほしい」と教訓を語る。

“動物天国”と揶揄された故郷の悲しい現実

「この辺は犬が群れで結構いたんですよ」
今は大部分の地域で避難指示が解除された浪江町。JR浪江駅前では2027年3月の完成を目標に大規模な再開発計画が進んでいる。駅前を歩きながら、赤間さんは14年前の様子を語った。

「突然、人がいなくなったでしょ。犬や猫、それにブタやイノシシなんかが普通に道路を歩いていた。ここは一時、動物の町だった」。

建設工事の音が周囲に響き渡る今は、想像もつかないが、かつてここは取り残されたペットや野生動物が町にあふれていた。赤間さんの故郷は、いつしか“動物天国”と揶揄されるようになっていた。

「ペットは乗せられない、放してくれ…」今も忘れられない悲惨な光景

浪江町で建設業を営んでいた赤間さん。18歳ごろからは福島第一原発と第二原発でも仕事をするようになった。東日本大震災が起きた2011年3月11日も、赤間さんは福島第二原発で溶接の作業をしていた。

「原発は本当に安全につくられているという感じでいたので、みんなが避難するようになるとは思わなかった。自分は避難しないでしばらく自宅にいた」

ただ翌日、事態は一変する。福島第一原発の1号機が水素爆発したのだ。多くの町民は原発から離れた地区の避難所に身を寄せ、そこからさらに遠くへとバスで避難することになった。その時に“あること”を告げられたという。
「バスにペットは乗せられない、放してくれ…」

避難は人が優先、ペットは置いていけというのだ。家族同然で一緒に過ごしてきた犬や猫を飼い主が泣きながら捨てる、そんな場面にも遭遇したという。そのなかでも赤間さんが忘れられない光景がある。

「道路いっぱいに多くの犬が、町の方に戻ってきたんです」。

海辺の原発から離れようと人が町から去っていくなか、自宅に残っていた赤間さんが目にしたのは、犬の集団。
大型犬に小型犬、様々な犬種が集まり、一緒になって町を歩いていたというのだ。

「ペットたちをこういう風にしたのは、自分たち(人間)がつくった原発のせい…」。

赤間さんはその異様さに罪悪感を抱き、原発で働く者として、強く責任を感じた。

「救わないと死んでしまう…」ペットを保護するため避難先から通う日々

「人を探している。飼い主を探している感じもありました」
人がいなくなった町で、ペットたちは明らかに混乱していた。
「救わないと死んでしまう…」
浪江町では2011年5月から一時帰宅が許されるようになった。赤間さんは浪江町内の自宅や経営する会社の事務所などを動物シェルターにして、犬や猫を保護するボランティア活動を始めた。避難先の郡山市から浪江町に約2時間かけて車で通い、ペットがいないか町内をめぐった。犬たちは赤間さんの車を見つけると、すぐに近づいてきたという。長い間エサをもらえず体力が低下。おぼつかない足取りで虚ろな目をしていた犬もいた。さまよっている犬に自宅でエサを与えるなど、保護できた犬はシェルターで世話をし続けた。

「犬と猫は人間と別だから、どうしようもない時は放してもいいと思われては、この子たちもかわいそう」。

保護した犬を無事に引き渡せた時、飼い主は泣いて喜んでいたという。
ただ、悲しいこともたくさんあった。「家の中に柴犬の親子がいるはず…」赤間さんの保護活動を知って、避難した人から依頼を受け依頼者の住宅に入ると、親犬は布団の上で死んでいた。
「まだ子犬がいる」
家中を探すとこたつの中で横たわっている子犬を見つけた。手で触れると温もりがわずかに感じられたが、それもつかの間。すぐに消えた。「早く見つけられていれば…そんな後悔をいくつもした」震災・原発事故がなければ、一緒に避難できていれば。人がいなくなった町でペットたちの命が失われていった。

助けても牙をむき威嚇 人を知らずに育った猫たち

原発事故の前に2万人余りいた住民が、原発事故で0人となった浪江町。2017年3月から徐々に避難指示が解除されると、2024年4月末時点で2227人(1,395世帯)が町で生活している。震災前、町の自慢だった漁業も復活して活気が戻るほか、復興が進む町で新しいチャレンジがしたいと移住してくる人も多くいる。

いまの賑わいとはかけ離れた光景が浪江町にはあった。2011年の避難指示が出てから数年後、人のいない町内を歩き回る動物たちに変化が表れる。保護しようとする猫が人を警戒して激しく威嚇するのだ。

「震災後に産まれた猫は人を見たことないから。人を見ると手が出てくるは、かじるは、すごい猫になっていましたね」。

保護用のかごの金網を破らんばかりに突進してきたり、牙をむけて威嚇したり。人の存在を知らずに育ち、与えられるエサもなく自分の力だけで生きてきた猫たちは、野生化していった。
環境省によると、メスの猫は生後4~12か月で子猫を産めるようになり、年に2~3回の出産ができる。1回に多くて8匹も産めるため1匹のメスの猫がいれば、3年後には2000匹以上になるともされている。町に凶暴化した猫が増えることは、故郷に戻ろうとする人にとっては厄介な存在になりかねない。赤間さんはそんな危機感も抱いていた。

「人が住んでいれば自分の飼い猫に避妊・去勢手術をしていた。でも、避難して誰もいないからコントロールできていなかった」。

獣医師の協力を得て、保護した猫には避妊・去勢手術をするほか、ワクチン接種もして、赤間さんの自宅などのシェルターで世話をする。町の猫の数を増やさないためだが、新たな環境で“また愛される存在になってほしい”という願いもあった。

「幸せになってもらいたい」譲渡した犬や猫は1千頭あまり

保護した犬や猫の中には人に慣れておらず、しきりに大きい鳴き声を出し、暴れて噛みついてしまうものもいる。もう一度、愛されるようにと、赤間さんはシェルターで1匹1匹それぞれの特徴や性格を把握したうえで、丁寧に世話をしている。暴れても噛まれても、変わらない愛情を注ぎ続けてきた。すると次第に穏やかな表情となり身をすり寄せ、愛らしい姿を見せてくれるようになる。

「1匹でも多く、ここよりも良いところに譲渡できればうれしいです」。

保護した犬や猫は、譲渡会に出すなどして、新たな里親に引き取ってもらう。なかには赤間さんの保護活動を知って、「赤間さんの所から引き取らせてもらえないか」という声もある。

「保護してからずっと世話をしていると、その犬や猫に情が移る。でも譲渡しないと次の子を受け入れられない。幸せになってもらいたいし、長生きしてもらいたい。そんな気持ちで里親に出していますね」。

赤間さんのシェルターから1千頭あまりの犬と猫が巣立っていった。かつて震災・原発事故で人のいない町をさまよったペットたちは、再び人の愛情に触れ、幸せの中にいる。

「絶対一緒に避難して…」ペットは家族 今だから言えること

「原発事故の時は正直、ペットよりも自分が逃げなきゃならないというのはあったと思う」。
あの時、町に残されたペットたち。避難所にたどり着けても「うるさい」「どこかに置いていけ」などと言われ、トラブルになり捨てられたペットもいたという。全国で相次ぐ様々な災害を見るたびに、赤間さんは“ペット”が今、どうなっているかが気になるという。

「人ももちろん大事だが、犬や猫はどうなっているかと、一番に考えてしまう。ペットも家族と一緒なので大事にしてほしい。災害の度にペットの同行避難が課題となっている印象もある」。

災害はいつ、どこで起きるかわからない。被災地に残されたペットの保護活動を10年以上続けてきた赤間さんは、伝えたいことがある。

「ペットも家族なので、避難する時は絶対に一緒に避難してほしい。自治体もペットが安心できる避難場所をつくってほしい」。

最終更新日:2025年3月10日 14:10
    福島中央テレビのニュース