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「警察・消防がいない島」でまた地震が起きたら 7割の家屋が全半壊した玄界島で大規模訓練 住民自身で避難所を開設【福岡県西方沖地震から20年】

2025年3月20日 17:42
「警察・消防がいない島」でまた地震が起きたら 7割の家屋が全半壊した玄界島で大規模訓練 住民自身で避難所を開設【福岡県西方沖地震から20年】

最大震度6弱の揺れに襲われた福岡県西方沖地震から20日で20年となりました。大きな被害が出た福岡市の玄界島では、これまでで最大規模の訓練が行われました。

福岡市西区の玄界島では午前10時、島内にサイレンが鳴り響きました。

■島内放送
「これは訓練です。ただいま地震が発生しました。津波の危険もあります。」

■元木寛人アナウンサー
「島の住民の方が階段を上って高台にある公園へと避難していきます。」

今回の防災訓練は「警固断層帯」を震源とする、最大震度6強の地震が発生したとの想定で行われました。

人口318人の玄界島。島に住む人やその家族、174人が高台の公園に避難しました。家族4世代で訓練に参加した人もいました。

■4世代で参加
「20年、早いですね。(当時は)涙が出そうで出なかった。恐ろしくて。まさかと思っていた、地震は。」
「当時、4歳ぐらいだったのですが、とても怖い思いをしたので、もしものときのために訓練は参加した方がいいなと思って。」

島で暮らす梅田穂積さん(69)は、あの地震のとき、自宅にいました。

■梅田穂積さん
「地震があって、すぐドドドと家の石垣が壊れて家の中に入ってきたので。ガラスがめちゃくちゃに割れて怖かった。」

20年前の2005年3月20日午前10時53分。最大震度6弱を観測した福岡県西方沖地震では、1人が死亡、1000人以上がケガをしました。

震源に近い玄界島では、7割の家屋が全半壊するなど大きな被害が出ました。島の神社の近くにあった梅田さんの自宅も被災し、取り壊しを余儀なくされました。

■梅田さん
「家を失ったことですし。今まで通りの生活ができるのは、幸せだったんだなと思います。」

梅田さんは自宅の再建は諦め、今は島内の市営住宅で暮らしていて、日頃の備えの必要性を改めて感じています。

今回の訓練の参加者は警察・消防なども含めるとおよそ350人で、これまでで最大規模です。ただ、玄界島には駐在する警察官や消防隊員はおらず、発災直後に島にいるのは住民のみとなります。

そのため、住民同士の助け合い、「共助」が重要です。

■住民
「水が出ないためトイレが使えません。あとは異常ないです。」
「分かりました。」

公民館では、住民自身によって、避難所開設の準備が進められていました。

■元木アナウンサー
「こちらでは、地元の住民の手によって簡易トイレの設置が行われています。」

島の中学生も参加し、簡易トイレやベッドを組み立てていきます。

こちらは20年前の地震のとき、福岡市内に仮設された避難所の様子です。床に毛布や布団が広げられただけで、仕切りなどはありませんでした。

ただ、今はベッドはテントで仕切られるなどプライバシーにも配慮された避難所となっています。自分たちの生活は、助け合いながらまずは自分たちで。この避難所を住民の手で立ち上げることが想定されています。

■自治会長・井上公加さん
「(地震が)実際にあったときは、島にいる者だけでしないといけない。この経験がもしものときに役に立つと思います。」

地元の消防団員と自衛隊による救助訓練や、衛星Wi-Fiをドローンで運搬する訓練なども行われました。

あの日から20年。いざというときための備えについて、見つめ直す訓練となりました。

最終更新日:2025年3月20日 20:06
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