「成長ゆがめる宗教があった」“オウムの子ども”見つめた元児相職員の回想~シリーズ「オウム30年」

地下鉄サリン事件をはじめ、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教。山梨県旧上九一色村の教団施設への強制捜査から3月で30年を迎える中、当時の映像と30年後の証言で事件について考えるシリーズをお届けします。5回目は教団施設で保護された“オウムの子ども”と向き合った児童相談所の元職員の思いです。
安倍元首相が銃撃された事件を契機に注目された、宗教2世の存在。特定の信仰を持つ家庭に生まれた子どもの苦しみが、広く社会に知られるようになりました。
1995年3月22日、警察による強制捜査が行われた旧上九一色村のオウム真理教の拠点。
当時、サティアンと呼ばれた教団施設では大勢の信者の子どもたちが、外の世界と接することなく生活していました。
オウム真理教の信者
「返してください!」
強制捜査から約3週間後の4月14日、県警はサティアンにいた未就学の子ども53人を保護します。
オウム真理教の信者
「警察が無理やり引きずり離して連れて行かなければいけないんですか。誘拐と一緒じゃないですか、保護じゃないですよ。親がいて何で保護する必要があるんですか」
オウム真理教の信者
「窓を開けるとマイクロバスが止まっていて、泣き叫ぶ子どもたちがみんな連れ込まれて行って」
保護されたオウムの子どもたちは、甲府市の県中央児童相談所に収容されました。
保坂三雄さん(78)
「保護者とかいろんなオウムの関係者が追いかけてきたんですね」
当時、児童相談所の職員として子どもたちと向き合った保坂三雄さん(78)です。
保坂三雄さん(78)
「当時の子どもたちがどんなふうに今生活をしているのか。やっぱりオウムにいたということはかなり本人にとっては負い目になっているかもしれないし」
保坂三雄さん(78)
「その後の家庭生活がどんなふうに回復していったのか、あるいはうまくいかなかったのか。今幸せに生活できていればいいなという思いがある」
捜査員に抱きかかえられ、次々と施設の中へと運ばれていくオウムの子どもたち。保坂さんはあの日のことを、今もはっきりと覚えています。
保坂三雄さん(78)
「雨がちょっと降っていた、寒かった。みんな薄着で上はTシャツ1枚、全員はだし。寒かったと思う」
児童相談所前に集まった信者
「おまえらにそんなことする権利があるのか!」
施設の入口付近では盾を持った機動隊員と追いかけてきた信者がにらみ合い、騒然となりました。そんな中、初めて子どもたちを目にした保坂さんが抱いた印象は…
保坂三雄さん(78)
「普段子どもを見ている、そういう子どもたちとは違う」
保坂三雄さん(78)
「子どもたちを保護したときはとにかく表情がない。顔面は真っ白あるいはもう青白かった」
保坂三雄さん(78)
「お医者さんの医学診断でも『顔面蒼白』という診断がついた子も何人もいた。みんなヘッドギアをつけて」
当時、県吉田保健所の職員として繰り返し教団施設を訪れていた竹越秀子さんも、施設で見かけた子どもの姿を忘れられないと話します。
竹越秀子さん(74)
「私がパトロールに行った時に普通子どもだったら何か声かけたらはにかむでしょ」
竹越秀子さん(74)
「私が『きょうは遠足?楽しそうだね』って話しかけたら、子どもが一斉に私を見てすごい目でにらんだの。子どもがあんな目をするってことがぜんぜん信じられなくて」
山梨放送は県への情報開示請求で、保護された子どもに関する2800点を超える資料を入手しました。当時、子どもたちが書いた日記や作文には…
「オウム真理教にかえりたい」
「げんせのバカ」
また、子どもたちの様子を記録した職員の報告書にはこんな記載がありました。
「大半の児童が『オウムへ戻りたい』といっている」
「尊敬する人物、好きな人物として『尊師』を挙げる児童が圧倒的に多い」
保坂三雄さん(78)
「ごみを燃やすと黒煙が出る。そうすると『毒ガスだ』と言って、わーっと子どもたちが部屋の中に逃げ込む。」
保坂三雄さん(78)
「外は毒ガス攻撃を受けるだとか、ずっと教え込まれていたから。自分たちが逮捕されたと思っている」
保坂三雄さん(78)
「児童相談所は警察の仲間だ、逃げたい。サティアンに戻りたいという気持ちが最初はみんな持っていた」
保坂三雄さん(78)
「とにかくオウムの人たちがずっと来ていた。夜も来ていた」
教団施設で暮らし、オウム真理教以外の世界を知らない子どもたちにとって“外の人間”はすべて警戒の対象だったに違いありません。
保坂三雄さん(78)
「きちんと誠意を持って温かく迎える、そこから入るしかない。いろいろなことを規制をしない」
保坂三雄さん(78)
「その中で人間関係をつくっていこうと。そのあかつきには多少いろんなことを教えるとか指導するということが出てくる。とりあえず丸ごと受け入れてとにかく子どもたちに温かくお世話をしましょうというのが基本方針だった」
子どもたちの心理状態を把握するため、保坂さんはさまざまな絵を描かせました。
6歳の男の子の絵に描かれたのは、笑顔で手をつなぐ家族とみられる5人の姿。頭上には大きな太陽が輝いています。保坂さんはこの絵から、男の子の心情を推し量りました。
保坂三雄さん(78)
「オウムに入ると親子やきょうだいはバラバラになってしまう」
保坂三雄さん(78)
「とても仲のいい親子だったんですけど、手をつないで離れたくないと」
保坂三雄さん(78)
「真ん中に太陽があった。愛情ですよね。仲のいい親子だったんですけど、結局バラバラにされてしまって。必死に手をつかんで離れたくないという絵」
バブル崩壊後の1990年代、先が見通せずに自らオウム真理教に居場所を求めた人は少なくありません。
しかし、教団施設で暮らしていた子どもたちに選択肢はありませんでした。
保坂三雄さん(78)
「オウムに入信する、出家する理由がそれぞれの家庭にあったんでしょうね」
保坂三雄さん(78)
「子どもたちが親の道連れで出家して、そこの社会や世界の中で価値観を身につけてどんどん大人になっていく」
保坂三雄さん(78)
「子どもの心の成長というものを正しく伸ばすのではなくて、ある種ゆがめてしまうようになっていくという宗教が今は分からないけれど、かつてはあったということ」
保護されてから3か月後、53人の子どもたちは児童相談所を後にしました。その後、彼らがどこでどんな人生を過ごしているのか、保坂さんは詳しく知りません。
あれから30年が経ち、日本は、世界は当時と比べてよくなったのだろうか? その問いかけに、保坂さんは自信を持って答えることはできないといいます。
保坂三雄さん(78)
「よくなったけど、また昔を忘れて元へ戻るような」
保坂三雄さん(78)
「宗教というものは必ず存在するし、その中で子どもも一緒になって」
保坂三雄さん(78)
「その流れの中に入っていかざるを得ないということも当然、起きるんだろうな」
保坂三雄さん(78)
「30年前と比べて少しよくなった、経済的にはよくなったけど心のあり方や持ち方なんかは分からない」