地下鉄サリン「防ぐこと可能だった」消えた“早期着手”元警察庁幹部の証言~シリーズ「オウム30年」④

地下鉄サリン事件をはじめ、数々の凶悪事件を起こしたオウム真理教。山梨県旧上九一色村の教団施設への強制捜査から3月で30年を迎える中、当時の映像と30年後の証言で事件について考えるシリーズをお届けします。4回目は地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか、早期着手も浮上しながら立ち消えとなった強制捜査の内幕について元警察庁刑事局長の証言です。
元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「捜索の現場で抵抗されるのは予想していたが、そういう形(地下鉄サリン事件)でオウム側が打って出るのは想像していなかった」
刑事警察のトップ、警察庁刑事局長を務めた垣見隆さん(82)です。
1993年からオウム捜査の実質的な責任者として、教団に対峙しました。
元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「私もある意味でオウムの一連の事件の中で言えば途中からという格好ではあるが、私が1993年に刑事局長になり、その翌年の1994年6月末に松本サリン事件が発生したのが大きなポイント」
垣見さんによりますと、松本サリン事件のサリン原料の追跡捜査をする中、警察は教団が機関誌でサリンに言及したこと、さらにダミー会社が原料を大量購入した事実を把握します。
1994年11月には旧上九一色村の教団施設・サティアン周辺の土壌から、オウムと松本サリン事件を関連付ける決定打となるサリン生成時の残留物の検出に成功しました。
元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「サリンを宗教団体が作るというのはあり得ないというか、とても信じられない思い」
オウムはまだ、警察の動きをつかんでないだろうー。
実は当時、警察庁が関連する県警と極秘裏に進めていた計画がありました。それは、宮崎と山梨で起きた2つの事件を突破口に教団の捜索に踏み切る、というものでした。
元警察庁刑事局長 垣見隆さん(82)
「とりあえず2つを事件として固めれば、オウムに対する捜査、関係者の逮捕なり、場合によってはオウム関係施設の捜索などができるのではないか。宮崎県警、山梨県警と連絡を取り合いながら進めていた」