【広島・原爆の日ドキュメント】被爆79年のヒロシマの1日
午前2時半…。平和公園は夜明け前から、祈りにつつまれていました。
■94歳の被爆者の娘
「(母は)80歳で脳内出血で倒れて動けなくなりました。お姉さんに会いたい会いたいってずっと言っていましたから。(今も)心の中で言っていると思います」
■80歳の被爆者
(すすり泣き)「命のある限りに、お参りはさせていただくつもりです」
■久保田栄作記者リポート
「手荷物検査が始まる30分前です。このように多くの人が並んでいます」
広島市などは、安全対策としてことしから入場規制の範囲を拡大。平和公園に入るため手荷物検査が行われるなど、例年と違う光景となりました。平和記念式典には、109か国と欧州連合の代表が出席。パレスチナ自治区で戦闘を続けるイスラエルの大使も参列しました。
■黙祷
■広島市 松井一実 市長
「自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか」
■平和への誓い
「79年前の広島には今と変わらない色鮮やかな日常がありました。家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。世界を変える平和への一歩を今踏み出します」
式典が終わってからも、献花の列は途切れませんでした。
■子ども
「平和は大事だから戦争はもうやめようって他の国もそう思ってくれたらいいと思う」
一方、総理大臣として、3度目の8月6日を迎えた岸田首相。被爆者団体から、「核兵器禁止条約」への参加を求められると…。
■岸田首相
「核兵器のない世界が、ここに核兵器国をどれだけ近づけることができるか、これが日本の具体的な取り組みであると思っています」
条約への参加については言及しませんでした。
13年ぶりに被爆証言を再開した女性がいます。97歳の阿部静子さん。がんを患い療養していましたが、「最後になるかもしれない」との思いで、原爆の日に証言しました。
■阿部静子さん
「生きさしてもらったことよと思いました。そして、あなたたちがいてくれるんです。幸せです」
被爆者の平均年齢は85歳を越えています。「あの日」を語れる人が少なくなるからこそ、被爆地ヒロシマの役割が増していきます。
【2024年8月6日 放送】