【回顧2023】G7広島サミットと被爆者
この1年を様々な角度から振り返る「回顧2023」です。今回は、5月にあったG7広島サミットで、首脳と対面した被爆者たちのその後です。
■小倉桂子さん
「世界のリーダーたちにお話をしました。5分で被爆体験を話し、彼らの心を動かせっていうことなんだから、どんなに大変だったか。」
12月10日にあった、核戦争の危機について考えるシンポジウム。登壇した被爆者の小倉桂子さんが語ったのは、サミットでのことです。
2023年5月、被爆地で初めて開かれた「G7サミット」。核保有国を含む各国の首脳が広島を訪れ、被爆の現実に向き合いました。原爆資料館の視察は、およそ40分間。そこで対面したのが、8歳で被爆した小倉さんです。英語で語るその体験に、耳を傾けました。
■小倉桂子さん(当時)
「私の目を通して、私の心を通して、追体験をしてくださいと申し上げました。」
各国首脳による共同文書「広島ビジョン」。「核のない世界」を究極の目標とする一方で、「核兵器が存在する限り、防衛のために役割を果たし、侵略を抑止する」としています。「核抑止」を正当化する内容に、被爆者からは落胆の声も上がりました。
■県被団協・箕牧智之理事長
「我々被爆者の願いは、核兵器の廃絶。その願いがむなしく消えていくような気がした。」
そして突如、広島を訪れたウクライナのゼレンスキー大統領。サミットでは、ウクライナへの武器供与の協議が優先されました。それでも、首脳らが記した「芳名録」には、核廃絶への思いが込められていました。
■小倉桂子さん
「これが、バイデンさんのサインですね。」
アメリカ大統領の「しるし」と、その名を刻んだ手帳です。
■小倉桂子さん
「サミットの時は、多大なる貢献をしてくれて、どうもありがとうというようなメッセージと一緒に、これいただきました。」
小倉さんは、この手帳に海外から訪れた人たちのメッセージを、書き溜めることにしました。
■小倉桂子さん
「最後まで書いてもらったら、いったい何人の人が私の話を聞いてくださって、そして何人の人が、広島を起点に何かを起こそうという気持ちになってくださったのかなと、名前を見ながら思い起こしたいと思いまして。」
日韓の歴史で記憶に残るであろう出来事。それは、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」への、現職としては初めてとなる、両国トップの訪問でした。この瞬間を、特別な思いで見届けたのが、広島在住の韓国人被爆者の朴南珠(パク・ナムジュ)さんです。
■朴南珠さん
「嬉しかったです。大統領来られるんだっていう、忘れてないんだ在日の私たちを、っていうそういう気持ちでしたね。」
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が当初建てられたのは、平和公園の対岸、本川橋のたもとでした。原爆の犠牲となった韓国人の為に、慰霊碑を建立したのは、1970年。当時広島市は、平和公園内への新たな慰霊碑建設を、認めていなかったとされます。
■朴南珠さん
「橋のたもとに建ったっていうときに、なんかすごく、なんて言うのか…寂しかったです。狭いとこへね。」
その後、公園内への移設を求める多くの声があがり、1999年に現在の場所に移されます。
それから四半世紀。日韓両首脳揃っての訪問が実現したのは、サミットの最終日でした。
■朴南珠さん
「嬉しかったです。嬉しいっていうか平和、平和だなっていう、こうあるべきじゃないかなっていう感じでしたね。」
そして尹大統領と対面。「皆さんが大変だった時に、そばにいることができなかった。おわびします」と語ったと言います。その後、大統領から感謝状と勲章が贈られてきます。
■朴南珠さん
「私が、こんな大事なものをいただいていいのかなっていう気もしましたが、それは嬉しかったです。」
11月、韓国の大学生が、平和公園を訪問。朴さんは、自らの被爆体験を通じて、平和への思いを若者達に託しました。G7の首脳が集い、核なき世界への目標を話し合った「広島サミット」。しかし世界では、今も争いはやまず、核兵器使用の脅威は高まるばかりです。
■朴南珠さん
「絶対に核を使ってはいけない。核は戦争に使ってはいけない。あまりにも残酷で非情だ。」
■小倉桂子さん
「世界はこんな感じだから、やり続けなきゃいけないから、止まってられないのね。核兵器ってどんなものかを知っていただいて、知ることが原点。」
原爆投下から78年余り。被爆者の悲しみと平和を願う思いは、今も変わりません。被爆地で開かれた「サミット」は、その心に寄り添ったメッセージを発したのか。世界で今もやまぬ戦火が問うています。