広島に住む韓国人被爆者 祖国で伝えた思い
韓国政府の招きでソウルを訪れていた広島在住の韓国人被爆者ら38人が
現地での滞在を終えました。一人の女性が大統領に直接伝えた思いを聞きました。
10月3日、広島に戻った韓国人被爆者の金花子さん、83歳。
■金花子さん
「禎子さんの言葉、死にたくない、生きたい、そういう気持ちを伝えることができた」
韓国訪問は、5月に広島で面会したユン大統領からの招待でした。
日本で生まれた金さんは4歳の時、爆心地から約2キロの自宅で被爆。
後遺症と在日韓国人としての差別、二重の苦しみを受けてきました。
中学三年生のときに出会ったのが、被爆から10年後に白血病と診断された佐々木禎子さん。同級生だった禎子さんの兄と共に見舞いに訪れた時でした。
そして、禎子さんの遺志を受け継ぎ、仲間と目指したのが「原爆の子の像」を建てることでした。
■金花子さん
「鶴に世界中の国旗の上に立ってもらって一羽が飛んでいって、それで子どもたちを助けて下さい。悲しませないでください。禎子さんの気持ちだと思って、その禎子さんの気持ちを伝えるために銅像があるということを
知ってほしい」
韓国滞在中、その思いを伝える機会が訪れたのは2日目。ユン大統領や韓国で暮らす被爆者との昼食会で、金さんは数分間語りました。
■金花子さん
「大統領夫人もずっとうなずいて。皆さん静かに涙ぐむような感じで聞いていただいたことは、大統領も胸が詰まったのではないかと思う」
今回の韓国訪問で、金さんが感じた思いがあります。
■金花子さん
「禎子さんがどういう意味でそこに立てたか、全世界の子供たちを守るために建てたのよということを知っていただいただけで。これで、日本と韓国が一つの糸でちょっと繋がったという気持ち」
被爆から78年で実現した、韓国政府の招待による祖国訪問。2つの国の狭間で生きる被爆者が、平和の尊さを訴えます。
(2023年10月4日放送)