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東日本大震災から13年 東北と氷見 支援がつないだ絆

2024年3月11日 19:14
東日本大震災から13年 東北と氷見 支援がつないだ絆
能登半島地震の被災地、氷見市で9日に行われた炊き出しに、宮城県の夫婦が参加しました。きっかけは13年前、東日本大震災で被災したときに氷見の知り合いから受けた支援でした。2つの被災地を結ぶ人の絆を梅本記者がお伝えします。

「はいどうぞ、おでんもありますよー」

9日、氷見市で行われた炊き出しで料理をふるまっていたのは、宮城県気仙沼市から来た坂井政行さん夫妻です。13年前の東日本大震災では、津波で店舗兼住宅を失いました。

坂井とし江さん
「全部流されたんで。命ひとつだけ二人で助かったもんで、なにひとつないんです」

当時、商工会議所の活動を通して知り合いだった氷見市の松原勝久さんが、東北の被災地支援に駆け付けました。それが縁で交流が続いています。

坂井政行さん
「まず、(元日の)1回目の小さな地震の時に松原君と電話してたんですよ。そしたら2回目の大きいヤツが起きたから、こりゃ大変だと思って。すぐに東北に手を回して物資集めて」

能登半島地震が起きてから、坂井さん夫妻が氷見へ支援に訪れるのは、これが5回目。災害ボランティアセンターがある「いきいき元気館」で、松原さんたちとともにカレーうどんとおでんをふるまいました。

9日の氷見市は、雪が降って真冬のような寒さに。厳しい状況と向き合いながらの復旧が続いています。そんななかでの温かい食べ物が、地元の人たちやボランティアの体と心を温めていました。

災害ボランティアの大学生
「液状化した家の土を、土のう袋に入れて搬出するっていうのを行っていました。寒い中やっているので、こういうのいただけるのありがたいですし」

坂井政行さん
「助けてもらったんだから、今度は助けなきゃっていう、それが第一ですね」

13年前の3月、東日本大震災が発生した際、氷見の松原さんたちは被災地へ支援に向かいました。深夜にたどり着いた気仙沼で待っていたのが坂井さんです。

そして、避難所となった体育館の隅にあったのは…

「空箱の山の状態です。本当に空箱です」

食料は底をついていました。

松原さんたちが気仙沼で行った炊き出しに並んだ人は、あわせておよそ5000人。この時に振る舞ったのもうどんでした。

「うどんのほう、どうでしたか?」
「おいしかったで~す」
「がんばってまたくるようにしますので、それまでみなさんがんばってください」
「は~い」

松原さんは、その後も気仙沼など被災地の支援を続け、訪れた回数は30回ほどに達しています。

2024年1月に起きた能登半島地震では、氷見市の松原さんの自宅も被害を受けました。自らが被災者となった今、松原さんが感じるのは生活再建に向けた人のつながりの大切さです。

松原勝久さん
「毎日辛いところもありますが、私たちには仲間がいますし皆さんの善意があります」

気仙沼の坂井さんは、能登半島地震発生から4日後に氷見に入りました。そして、松原さんがいる氷見を拠点に、能登へ救援物資を届ける体制を組んだといいます。坂井さんは、被災地に速やかに生活物資を届けるには、人のネットワークが欠かせないと考えています。

坂井政行さん
「東北の地震の後で、氷見で、こうやって能登で地震があっても、なんか教訓になってねえんじゃないのって、いうのをすんごく思いましたね、民間が動くほうが、絶対に早いです。我々ができることは、モノ運び、必要なものを届けようと、それに今回、徹底しています」

そして松原さんは自ら被災しながらも、氷見や能登の400か所の知り合いを頼りに支援にあたったといいます。

松原勝久さん
「支援で要請されたところに、すぐ届けられるのは、やっぱ民間というか、助け合うネットワークがある所にしか行かないような気がするので。もっともっと、助け合いのネットワークを大きく、輪を広げていきたいなと思います」

松原さんと坂井さんはこれからも、全国の災害被災地での支援活動を続けていきたいと考えています。東日本大震災と能登半島地震、それぞれで被災した人と支援する人の絆が、日々の暮らしを取り戻すために大きな力となっています。
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