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火災で焼失した輪島朝市 「これからもここで生きる」若き商店主の決意

2024年7月10日 18:34
火災で焼失した輪島朝市 「これからもここで生きる」若き商店主の決意
輪島朝市では、様々な思いや課題を抱えている組合員もいます。能登半島地震の発生から半年。朝市の復興を願い歩みを進める姿を追いました。

6月5日。
元日の地震により大規模な火災が発生した輪島市の朝市通り周辺で建物の公費解体が始まりました。その様子を見つめていた鮓井辰也さん 72歳。

鮓井辰也さん
「いつまでも悲しんでばっかやおられんしね、早く次の一歩を踏み出したいし」


鮓井さんは朝市通りの玄関口で40年以上漆器店を営んでいましたが、元日の地震で店や工場を失いました。朝市から数キロ離れた場所にある自宅兼工場。長年ここで漆器を作り続けてきました。

「僕なりに当時大きい借金して僕の初めて建てた工場。わが身削られる感じやね。初めて造った建物と仕事と工場やからね。いろいろ悲しいけどやっぱり一番思い入れのあるのがこの工場やったから」

地震の後、土砂が工場を飲み込み、自宅は何とか倒壊を免れましたが、土砂が流れ込む恐れがあります。

鮓井辰也さん
「自宅裏の山の木が危険な状態なんですよ。あの木が落ちてきたら家までかかりそうなんで」

仮設住宅への入居条件を満たしていないため、いまだ避難所生活が続いています。
こうした中、鮓井さんの生活基盤を支えているのが「出張輪島朝市」です。3月に金沢市の金石港で開かれてからその後、県内外で開催されています。

「できた製品がこうして並べられただけでももうほんとに感無量。こうして商売させてもらえることがうれしいです」

出張輪島朝市に並べる商品は知人に借りた輪島市内の倉庫で製作。

「こっち来て作り出したお箸です」。思うたような色出て思うたようになってくれたらたまらなくうれしいやろ。うちの息子もそう」

実は、輪島を離れていた息子が3年前に地元に戻り、家業を継ぐと言ってくれたのです。

「将来鮓井商店を復活させて「朝市にもう一回お店出す手伝いしたい」あの一言でうるんとしてしもうた」

不自由な暮らしは続きますが、跡を継ぐ息子のために少しでも何かを残したいともうしばらくは頑張るつもりです。

一方、朝市の再生に向けては検討会による議論も進められています。

中森虎太郎さん
「自分たちだけのいい商品を作って、そういうものが増えていけばリピーターは自然に増える」

若手の組合員の一人、中森虎太郎さん 26歳。
輪島市内で50年以上続くせんべい屋さん「栄煎堂」の3代目です。
私たちは7年前、高校を卒業して間もない頃の虎太郎さんを取材していました。

当時は煎餅作りを教わり始めたばかりで苦労の絶えない日々。それでも大学には進学せず幼い頃から慣れ親しんだ輪島に残ることを決めました。

そして今、朝市の若手を代表する店主の一人に。
元日の地震では、幸い、店や機械に目立った被害はありませんでしたが、家族と暮らす自宅はいまだ断水が続いています。

「配水管がぐちゃぐちゃになってるらしく水が流せない。ちょっとでも早く直してほしい所ではあるんですけど手が回ってないのが現状」

さらに地震の影響により市内で商品を卸せる店が激減。今は県外への出荷がほとんどです。

中森虎太郎さん
「一日の間に(輪島朝市が)なくなってしまったものですからいまだに実感がない。車で通るたびに荒れてしまった朝市通りちらっと見たときにやっぱり現実なんだなと。朝市が復興したあかつきには出店させていただきたい。そこでうちが長年続けてきた朝市せんべいをまた観光に来たお客様方に買っていただきたい」

公費解体が始まるなど、復興に向けて少しずつ動き出した輪島朝市。
これからもこの場所で働き、生きていくと決めた人たちも前を向いて動き始めていました。

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