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いつの日か再び珠洲で…20年続けた鮮魚店を休業した親子 それぞれの決断

2024年2月21日 19:56
いつの日か再び珠洲で…20年続けた鮮魚店を休業した親子 それぞれの決断

元日の地震により休業を余儀なくされた珠洲市内の鮮魚店。
いつの日か再び珠洲で店を開きたい。
被災地の復興を見据え、それぞれに歩みを進める親子を取材しました。


この日、金沢市内に引っ越してきた1人の男性。
多原真吾さん33歳。
金沢に住むのは14年ぶりです。

多原さんの実家があるのは珠洲市。
去年までは、地元の商店街で父・健次さんと二人で鮮魚店を営んでいました。

近くの蛸島港で仕入れた魚をさばき、店の軽トラックで馴染みの飲食店に配達するなど忙しい日々を送っていた多原さん。

多原真吾さん:
「めんどくさいと思ったりかもありますけど、だいたいこの魚触ったりとか刺身作ったりっていうことは好きなので、まあ楽しいですね」

しかし。

元日の地震で鮮魚店は大きな被害を受け、近づくのも危険な状態に。

魚の配達に使っていたトラックも柱と納屋の下敷きになりました。

漁港もいたるところで地面が隆起するなどし、競りが再開する見込みは立っていません。

多原さん:
「魚とってきても揚げる場所もないし、ってなると場所あってもそういう連鎖ができん」
「魚もし買えて仕事出来たにしても買ってくれる人もいないし」

父・健次さん:
「19年この店でやってきたんだからね、なんか寂しい気持ちもあるけど、まあここまで壊滅的なら諦めもつくし」

20年近く続けた鮮魚店を休業せざるを得ない中、珠洲に残るのか、他所に移るのか。
多原さんは両親と祖母を連れて町内の施設へ避難し話し合いを重ねたといいます。

「難しいよな。」
「メッチャクチャ難しいですね」
「(多原さんが気軽に)わかったよとも言われし」

多原さん:
「もちろん本当はここで仕事をしていたいというか、住んでいたいっていう気持ちはあるんですけど」
父・健次さん:
「どっちかで言うたら、(息子は)新しく仕事探すしかないかなって思う」

それから、およそ1か月後。
多原さんの姿は金沢市の近江町市場にありました。

多原さん:
「一回魚屋という分野を離れて、ちょっと料理の勉強したいなと」
「どうなるかわかりませんけど、(珠洲で)魚屋兼飲食店でできれば一番いいかなと思ってます。」

いつの日か、また珠洲で店を開きたい。
そのためにいまは、自分の腕を磨きたいと金沢市に住まいを移し近江町市場にある飲食店に就職したのです。

職場の先輩:
「2、3日後にはもうもうみんなと慣れていろんな人としゃべったりし、やっぱり頼もしいなと思って」

平井慎太郎社長:
「これからどんどん可能性もあると思いますので、しっかりと仕事を覚えて、独立でもできるようになってくれたらいいなというふうに思ってます」
多原さん:
「嬉しい気持ちでいっぱいですね」

しかし、多原さんにはある心配事がありました。
それはふるさとの珠洲に残してきた両親の存在です。

多原さん:
「今までずっと家に居て普通に生活する中で突然居なくなったって感じなんで、寂しい気持ちもあるのかなと」

そんな思いから多原さんは、休みになると金沢から足しげく珠洲に通っています。

母・幸子さん
「いつかまた親子で暮らせるようになったらいいなとかって思いますけど、次の日また戻ってくんで、身体に気を付けて頑張れって感じですね」

父・健次さん:
「息抜きに釣りでもしに来るか、休みの日に」

一緒に被災地の復興を見届けたいと珠洲に残ることを決めた父・健治さん。
実は最近、新しい軽トラックを購入したといいます。

「一応魚屋するための」
「やっぱり軽トラ買えばなんかその希望に向かって一歩進んだっていう感じがするでしょ」

当面は主にがれきの運搬に使う予定ですが、いつの日かこのトラックに魚を積み、再び、息子と珠洲で店を構えるのが夢だと話します。

多原さんも思いは同じです。

多原さん:
「今の職場でも盛り付けもそうですけど、やっぱ寿司握ったりとかもできるので。となればやっぱ幅は広がると思いますし」
「経験を積んで、こっちに来た時にそれを生かせれば一番ベストかなと思ってますけど」

再び、親子で働くために。

愛する珠洲が復興を遂げるその日まで2人の歩みは続きます。

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