「やっぱ祭りやりたいよ」液状化被害で危ぶまれる秋の祭礼 活気取り戻すために…
内灘町西荒屋で生まれ育った橋本 謙介さん。
橋本 謙介さん:
「砂利ひいてあるだけ、何も変わってないと思うし、こことかもこんなんじゃない。真っすぐだったし」
道路や住宅などの被害は甚大で、西荒屋地区では約4割の建物が応急危険度判定で「危険」と判定。具体的な復旧の見通しは未だに立っておらず、約1割の住民が地震の後、この地区を離れました。
橋本 謙介さん:
「いい人がいっぱいいるから。帰って来てというか、忘れられなければいいかな」
こうした現状に危機感を持った地区の住民たち。有志で復興委員会を立ち上げ、地区の現状と町への要望などについて話し合います。
そこで、区長が話したのが秋の祭りについて…
西荒屋地区・黒田邦彦区長:
「私、区長としては、ことし秋の祭礼もできませんし…」
西荒屋地区で約170年受け継がれてきた秋の祭礼。笛や太鼓の音と共に「棒振り」と呼ばれる演舞を披露しながら、朝から晩まで町内を練り歩く、街の大切な神事です。
橋本 謙介さん:
「最後にいいですか。区長はさっき祭りは出来ないって言ってたけど、小学生はしたいって言ってる。今まで通りやるのは無理なのはわかってるが、伝えていくとなったら途切れさすのはよくない。自分もしたいと思ってるので考えて欲しい」
子どもたちのため、そして街を出ていった人が戻ってくる切っ掛けになればと、橋本さんは祭りの開催を提案しました。
しかし、2回目の復興委員会では…
「思いはわからんわけではないけど」
「子どもが祭りしたいって言ってたから、俺はそうだって思う」
「思いは思いかもしれないが、そういうのは区長として賛成できない」
「参加者とか(祭り)実際できるんか?」
街には未だ震災の爪痕が色濃く残り、子どもたちを心配する声が上がっていました。
それでも、子どもたちに祭りの楽しさを伝えたい…橋本さんたちは議論を重ね、道路事情を考慮して街の練り歩きは中止としたものの、公民館の前で演舞を披露することが決まりました。
8月。この日、公民館に集まっていたのは約30人の子どもたち。
練習が始まりました。
橋本 謙介さん:
「人が少なくなっていってるけど、ここでやめたらもう一回するのが難しくなる。できるだけ(この祭りを)続けていければいいかなと」
上の子たちから下の子へ教え伝えていくのがこの祭りの習わし。
「最初はとりあえずリズムを覚えてほしい」
先輩たちが太鼓や笛の吹き方をひとつひとつ教えていきます。
小学校3年生の田中凛さん。初めてお祭りに参加します。
田中凛さん:
「難しいなと思った。教えてもらって覚えるのは結構楽しいから、このまま練習続けて出来るようになりたい」
そんな凜さんも被災者のひとりです。
内灘町のとなり、津幡町にあるアパート。
凛さんの自宅は大規模半壊で住むことができず、家族6人でこのみなし仮設で暮らしています。
母・田中恵美さん:
「前の家と比べると狭いです。自宅に戻りたい気持ちもあるし、西荒屋のみんながいるところに戻りたい気持ちもあるし、ただ家を直せるのにいつまでかかるかとか、元の状態ではないところで生活していく不安、はっきり言えないですよね」
田中凛さん:
「今は凛以外、みんな(友達は)元の家に住んでるから遊べない、あっち(西荒屋)に行かんと」
友達とも学校以外では気軽に遊べません。
そんな凛さんが楽しみにしていたのがこの祭りの練習日。みんなに会える大好きな時間です。
約1か月間の練習もこの日が最後。凛さんたちの笛もしっかり上達しました。
橋本 謙介さん:
「集まる切っ掛けになると思うから。なんやかんや楽しそうにしてるし、そういう楽しい場を作れたらいい」
迎えた祭り当日。
今年も西荒屋に囃子の音が帰ってきました。
子どもたちが一体となってこれまでの練習の成果を披露します。
「まだまだまだまだ、これからやぞ~!」
祭りは徐々に熱気を帯び始め、橋本さんも全力で祭りを盛り上げます。
西荒屋地区の住民:
「みんな住むところもバラバラなので久しぶりに皆さんに会えてよかった」
「なんでも続ければいいんだ。やめるのは簡単だけど続けるのが大変なんだから、復興すればいいけどな」
橋本 謙介さん:
「みんないい顔していたし楽しそうにしていたし、大人も楽しそうだったし、何かあれば帰ってきてくれるから、それだけで俺は十分かな。手伝ってて言った時に手伝ってくれれば…」
「せ~のアリガトウ!」
様々な課題を抱えながらも少しずつ前を向き始める西荒屋地区の住民たち。
この街を離れないで欲しい。そんな願いの下、ことしも祭りが大人から子どもたちへと受け継がれていきました。