肉質で敬遠されがちな経産牛に付加価値を 東京から移住夫婦の挑戦
県の北西部に位置するさつま町。自然豊かなさつま町で脱走した牛に奮闘している2人。鈴木理夫さん(42)と妻の祐佳さん(38)です。生れも育ちも東京です。2人は7年前、さつま町に移住してゼロから畜産業を始めました。
東京の不動産会社に勤めていた夫の理夫さんは、食べることが好きで外食すると必ず食材の産地を聞いていたそうです。高級な店ほど農家から直送されているものを使っていて農業への憧れを抱いていたといいます。そんな時でした・・・。
2011年3月11日
東日本を大地震が襲いました。
(鈴木 理夫さん)
「13キロぐらいの距離を歩いて帰って、7時間ぐらいかかった。その時に疲れたから店に入ろうとしたら店もごったがえして、水しか飲めない。金があってもダメな時があるんだな」
農業への憧れと東日本大震災をきっかけに自ら畜産業を起業することを決意しました。妻の祐佳さんは・・・。
(妻 祐佳さん)
「1年ぐらい断っていた」
2011年3月11日
東日本を大地震が襲いました。
(鈴木 理夫さん)
「13キロぐらいの距離を歩いて帰って、7時間ぐらいかかった。その時に疲れたから店に入ろうとしたら店もごったがえして、水しか飲めない。金があってもダメな時があるんだな」
農業への憧れと東日本大震災をきっかけに自ら畜産業を起業することを決意しました。妻の祐佳さんは・・・。
(妻 祐佳さん)
「1年ぐらい断っていた」
地方での生活に不安を抱いていました。そんな祐佳さんを1年かけて説得しました。移住した当初、新規就農の許可がおりるまで夫の理夫さんはDJとして活躍も!
(鈴木 理夫さん)
「いつも天ぷらですと冗談をいうが、天賦の才。天から与えられた能力じゃないがそういう意味で」
今ではおよそ2ヘクタールの土地に130頭を超える牛を飼うまでに。自分たちの牛を飼い、子牛を育ててセリに出す繁殖業と企業から預かって育てる預託業を営むてんぷ畜産。ですが、道のりは険しいものでした。畜産業を始めたものの、子牛の値段は下がる一方でした。
(鈴木 理夫さん)
「この牛たちを買った時はいい時に買えたねという感じだったが、そこからまた下がった
」
2022年、鹿児島県は和牛日本一に輝きました。それでも・・・。
(鈴木 理夫さん)
「(日本一の時は上がらなかったか?)上がらなかったんですよ」
コロナ禍もあって日本一の恩恵どころか、消費の低迷が続き子牛の値段は下落の一途をたどりました。そこにロシアのウクライナ侵攻による資材や餌の高騰が追い打ちをかけました。
(鈴木 理夫さん)
「餌の値段はすごいですよ。始めたときと比べると今が1.5倍」
てんぷ畜産を訪れた獣医も今の状況をこう語ります。
(獣医)
「とにかくコストが高くなりすぎて正直続けるのが難しいという人も結構いて」
牛の栄養を考えると値段の高い質の良い餌を減らすこともできません。
(獣医)
「飼えば飼うほど損していくようなのでだから減らすという風になっている」
(鈴木 理夫さん)
「味が濃い、香りが強いというところが、僕が思っている経産牛の良さみたいなところだ
と思う」
餌は国産の飼料やとうもろこしのほか、タケノコの水煮をあげたりと工夫しています。
(鈴木 理夫さん)
「他にはない肉を作りたい」
(鈴木 理夫さん)
「去年、熟成肉の専門店が、うちの肉に興味をもってくれて、食べてみたら結構おいしく
て」
ナッツの香りがするそうです。
(鈴木 理夫さん)
「理想は、さつま町でステーキ店を開いて、あそこのステーキはあそこでしか食べれない
からと言って来たらおもしろい。世界中からインバウンドも」
黒毛和牛の新たな付加価値を経産牛で伝えていきたい・・・。次はどんな魅力を提供してくれるのか。2人の挑戦に期待がふくらみます!
(KYT news.everyかごしま 2024年10月10日放送)