津波で3人のわが子を失った夫婦 東日本大震災から14年の現在地<宮城・石巻市> #知り続ける
東日本大震災の後、その悲しみから足並みが揃わないこともありましたが、きょうまでたしかに歩んできた2人。
その現在地を見つめました。
宮城県東松島市で木工職人として活動する遠藤伸一さん(56)です。
14年前の3月11日、伸一さんが暮らしていた石巻市は大津波に襲われました。
長女の花(はな)さん(当時13)、真ん中の弟・侃太(かんた)さん(当時10)、末っ子の次女・奏(かな)さん(当時8)。
3人の子どもを亡くしました。
同じ悲しみを繰り返さないために…
辛い思いを抱えながらも、伸一さんは震災の記憶を伝える活動をしています。
遠藤伸一さん
「(自宅に)長女とお袋が2人でいました。そのあと、渡波小学校にいた子どもたち。長男と次女を迎えに行っちゃったんですね。それで、沿岸部の石巻市長浜町に連れて帰ってきちゃったんですね」
あの日、伸一さんは子どもたちを家に送ったあと、連絡がつかない親戚のところへ。
その後、石巻に大津波が押し寄せました。
伸一さんは、津波にのまれながらもなんとか逃れることができましたが、愛する3人の子どもたちが犠牲になりました。
遠藤伸一さん
「何のために生きるのかな、っていうのさえわからなくなって。わたしが殺したのと一緒だよなっていうような後悔と罪悪感」
なぜ子どもたちのそばにいてやれなかったのか…
襲われる後悔に、一時は後を追うことも考えたという伸一さん。
思いとどまることができたのは、ともに避難所で過ごした仲間たちの存在でした。
遠藤伸一さん
「消えてなくなってしまいたいと思っていた人間が、今こうやって生きられているっていうのも、たくさんの人の思いに支えられているからなんですね」
伸一さんは自分の体験を語りつぐことを始め、仲間とともにボランティア活動なども行うようになりました。