【特集】<復興願い、誓う一日>『能登半島地震』で被災 石川の高校球児 宮城の高校生と交流試合
被災地の復興を願い、そして誓う。
大切な一日になったー。
宮城・石巻市民球場に到着した1台のバス。
降りてきたのは、石川県の高校球児22人。
球場でミーティング
「能登半島地震で被災した奥能登にある5つの高校で、選抜チームを結成しました。楽しんでいきましょう」
奥能登選抜・輪島高校 冨水諒一監督
「どの高校も、震災の前の状況に戻っていなくて制限される中での練習なので、今回このようなグラウンドで思い切り試合をさせてあげられるのは、物凄く楽しみです」
元日の地震で発生した大きな地割れ。
輪島高校のグラウンドは、危険があるとして地震から7か月が過ぎた今も、立ち入ることが出来ない。
現在、金沢で避難生活を送る輪島高校の秋田憲秀さん。
今回の交流試合で、先発を任された。
輪島高校 秋田憲秀さん
「朝市の方で家が燃えてしまって、みなし住宅というかたちで(金沢の)アパートに住まわせていただいています。早く地元に帰りたいです」
対戦するのは、宮城県内の15校で結成した宮城県高野連選抜だ。
1回表、奥能登選抜はツーアウトから2塁打。
しかし、後続が倒れてチャンスを活かせない。
1回裏、輪島高校の秋田さんがマウンドに立った。
対するのは、東北高校の西城雄世さん。
『東日本大震災』では、仙台市宮城野区の自宅が津波の被害を受けた。
東北高校 西城雄世さん
「自分は津波に流されて、家も全部流されてすごい辛い経験をしたんですけれど、前を向いて頑張って生きようという中で、必死になって生活を送って頑張ってき ました」
試合前、1球1球を大切に投げたいと話していた秋田さん。
西城さんと対戦は、フォアボールだった。
内野ゴロの間に、西城さんが先制のホームを踏んだた。
試合は、宮城県高野連選抜が、序盤から得点を重ねた。
そんな展開の中でも、奥能登選抜のナインは、野球が出来ることの喜びをかみしめているようだった。
奥能登選抜・輪島高校 冨水諒一監督
「13年前に東日本大震災で大きな被害を受けた石巻という地で、どのように復興してきたのか、どんな思いを抱えながら生活してきたのか、少しでも野球を通して選手たちには肌で感じて持ち帰ってくれたらという想いです」
結果は、12対2で宮城県高野連選抜が勝利した。
先発した輪島高校 秋田憲秀さん
「宮城の選抜チームというだけあってすごい打ってきて、ちょっと悔しかったです。試合を通じて相手チームも仲間みたいな感じで嬉しかったです」
試合後の交流会では、13年前の『東日本大震災』を学んだ。
震災翌年のセンバツで、石巻工業高校の主将として選手宣誓をした阿部翔人さんが当時の状況を伝えた。
「当時は部活動の練習中で学校に避難して…」
先ほどまで試合をしていたグラウンドは、自衛隊の車両やテントで埋め尽くされていた。
そして、テーブルをはさんで石川と宮城の球児が、試合の感想などを伝えあった。
みんな笑顔、すぐに打ち解けていた。
最後に、この日それぞれが感じたことを色紙に残した。
「野球を通して復興していきましょう…」
『能登半島地震』から、7か月あまり。
みんなで親指を少し曲げて能登半島の形を作って、記念写真を撮った。
被災地の復興を願い、そして誓うー。
大切な一日になった。