長崎くんち【銀屋町・鯱太鼓】「銀屋町は心意気」を合言葉にいざ大舞台へ 鯱を呼び覚ます据太鼓《長崎》
長崎くんちで『鯱太鼓』を奉納する銀屋町。
据太鼓と38人の担ぎ手が担ぐ山飾(ダシ)による演目で、観客を魅了します。
“亡き師匠に悔いのない奉納を” 据太鼓のリーダーが親子で挑む 初めての大舞台です。
古代中国の「蓬莱鯱伝説」をもとに作られた 銀屋町の鯱太鼓。
大海にすむ “鯱“ が、天空を目指して昇り、やがて黄金の龍となって人々に吉祥をもたらしたとされています。
その鯱を呼び覚まし 奉納踊のオープニングを飾るのが、12人からなる「据太鼓」です。
先月3日の稽古。
メンバーはタイヤを太鼓に見立て、ひたすらたたき続けます。
フォームやたたく位置を体に染み込ませるためで、1日600回にのぼることもあるといいます。メンバーのうち、7割が初出演です。
(据太鼓 松本 千穂さん(18))
「後悔しないような奉納をしたい。(お客さんから) 自分だけが目に入るみたいなかっこいい顔で奉納できたらいい」
最年長の51歳、齊藤 誠史さん。
10年前の前回まで 2回連続でケガなどにより途中で離脱。最後のチャンスと意気込みます。
(据太鼓 齊藤 誠史さん(51))
「膝やら股関節やら、テーピングやらあちこち(ケガしている)。最後のチャンスで出させてくださいと言って練習に参加して、ようやくオッケーが出たので 出させてもらえることになった」
(据太鼓リーダー 中野 奈緒さん(42))
「しっかり。音は小さくても、ちゃんと刻まないといけない。ここ刻まないとバラバラになるから」
メンバーをまとめるのは 中野 奈緒さん。4回目の出演となる今回、念願だった親子での “初共演” を果たします。
長男の葵さんは、囃子方として櫓の上で太鼓の担当です。
“かっこいいお母さんの姿に近づきたい”
バチに思いを込めます。
(長男 葵さん(8))
「かっこいいなと思って見ていた。1番かっこいいのは、真ん中にいてリーダーの立ち位置でかっこいい」
(据太鼓リーダー 中野 奈緒さん(42))
「機会があれば、親子共演は夢だったので (一緒に)出られると思うとうれしい。鯱を天高く上げられるように、いい奉納ができるように頑張るね」
(長男 葵さん(8))
「宇宙を超えたいね」
据太鼓のメンバーが演奏する「昇龍」。
“鯱を天高く昇らせるように” との思いが込められています。
作曲したのは、1985年から奉納が始まった鯱太鼓の創設メンバーの一人である 故・高木 忠弘さんです。
(高木 忠弘さん(享年72))
「男らしさ 心意気 それだけしかない。一生懸命さを見てもらえばいい」
鯱太鼓の奉納は今年、6回目を迎えます。
以前の銀屋町は 本踊などを奉納していましたが、独自の演し物を作り上げようと高木さんらが奔走しました。
その高木さん、長采を務めるなど 長年にわたり銀屋町を支えてきましたが、4年前、72歳で亡くなりました。
高木さんの命日には、師匠を慕う銀屋町のメンバーやOB、OGら約50人が次々と墓参りに訪れました。
そこには、息子 葵さんを連れた中野さんの姿も。30年近く、高木さんから指導を受けてきたそうです。
(据太鼓リーダー 中野 奈緒さん(42))
「この子が生まれた時に高木さんも抱っこしてくれたので、一緒に出られることは 高木さんも喜んでくれていると思う。一生懸命やらなければと、気持ちが引き締まった」
”師匠が見守る大空まで 鯱を天高く舞い上がらせる”
メンバーの結束を深める1日となりました。
6月の小屋入り後、平日はほぼ毎日、稽古を行ってきた銀屋町。この日は最後の場所踏みです。
(稽古前の掛け声)
「蓬莱鯱伝説。担手は波の力、棒先は風の勢い、櫓太鼓は心臓の鼓動、据太鼓は意識の覚醒、采は魂の祈り、魂込めて。
”心意気だぜ” ホーライコ」
稽古の前には、師匠がよく口にしていた ”心意気” という言葉を合言葉に、気合いを入れます。
(長采 髙田 雄康さん(55))
「銀屋町は “心意気” と高木さんが言っていたので、鯱を据太鼓で叩き起こす。波がホーライコ、ホーライコ、ホーライコで、天高く鯱が舞い上がる」)
まちの人たちの手で山飾の飾りつけが行われ、鯱に命が吹き込まれました。
10年ぶりの奉納。特別な思いを胸に大舞台に臨みます。
(据太鼓リーダー 中野 奈緒さん(42))
「高木さんがいない初めての銀屋町の鯱太鼓ということもあって 、心細いところはあるけれど、高木さんの名に恥じないように頑張っていきたい」