「終わった話ではない」戦後最大級の食品公害 “カネミ油症” 被害者らが実態の理解訴え集会《長崎》
戦後最大級の食品公害「カネミ油症」。
救済認定の実態や課題について考える集会が、長崎市で開かれました。
(朗読)
「長女は家族の祈りもむなしく、3か月を待たずに2人の子どもを残し、息を引き取った。49歳、未認定のままの死だった」
1960年代にダイオキシン類が混ざった米ぬか油が販売され、健康被害が広がったカネミ油症事件。
西日本を中心に1万4000人が被害を訴え、県内の認定患者では、約9割を五島市が占めています。
集会は救済認定されない被害者や、子や孫の世代への影響などに理解を深めてもらおうと企画。
長崎本土地区の被害者の会の下田 順子代表は、被害の苦しみを説明。
被害者認定を受けていない娘の恵さんとともに、子や孫の世代に対する救済の必要性を訴えました。
(長崎本土地区油症被害者の会 下田 順子代表)
「おできができて血膿が出て、ボロボロになった。歯茎が黒くなって、人前で笑うことさえできなかった」
(娘 恵さん)
「カネミ油症は終わった話ではない。今、現在もその症状に苦しんでいる人々がいることを忘れないでほしい」
下田代表らは今後も、カネミ油症への理解を広げる集会を続けていきたいとしています。