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2月22日は「竹島の日」 今年は島根県が条例を制定して“20年” なぜ韓国との間で争いが生じたのか… 竹島に思いをはせる人たちの証言から竹島問題を考える

2025年2月21日 15:00
2月22日は「竹島の日」 今年は島根県が条例を制定して“20年” なぜ韓国との間で争いが生じたのか… 竹島に思いをはせる人たちの証言から竹島問題を考える

2月22日は「竹島の日」。今年は島根県が条例を制定して20年目の節目となります。

いまだ解決の兆しを見いだせない竹島問題。そもそも、なぜ韓国との間で争いが生じたのでしょうか。ゆかりの深い人たちの証言とともに改めて竹島問題について考えます。

日本海に浮かぶ島根県隠岐の島町の小さな孤島、「竹島」。隠岐諸島から、北西157キロに位置する日本の領土ですが、韓国の不法占拠によって日本人はもう70年以上、足を運ぶことができていません。

かつては山陰両県の漁師たちがさかんに行き来していた竹島。江戸時代前期には、すでにその絵図が作られていました。周辺海域では、さまざまな海産物が獲れたほか、なかでも漁師たちが目当てとしていたのがアシカ。皮はかばんに、油はせっけんなどに用いられました。

明治後期に入るとアシカの乱獲が進み、地元から漁の安定化を求める声が高まりました。そこで政府は、竹島を島根県に編入しアシカ猟を許可制としたのです。この島根への編入を地元に知らせた日が、“2月22日”今の「竹島の日」でした。

■竹島に何度も通っていた男性の思い

この竹島に何度も通っていたという、隠岐の島町の浜田正太郎さん(享年65)。浜田さんは自作の船で島へ渡り、その様子を妻や義理の娘のヨシ子さんにうれしそうに語ったといいます。

浜田正太郎さんの義娘・ヨシ子 さん(80)
「昆布みたいに漂うくらいすごい大きなワカメとかサザエ・アワビは普通の2倍3倍もある大きさ。とにかく竹島の話をいつもする竹島が大好きな人」

去年、生前の浜田さんの証言を書き起こしたメモが自宅から見つかりました。戦後の占領下、日本人はしばらく竹島に近づけませんでしたが、浜田さんは船の故障を装い、島へ渡ったことがあったそうです。そこで思いがけない光景を目にしました。

~浜田さんの証言を書き起こしたメモ~
「わかめ刈る人、干す人、韓国人が50人以上」
「『竹島は日本の大切な島、日本領土だから早く帰るように』と抗議したら、韓国人らは『この島が日、韓、いずれの国に属するか知らないが、毎年ワカメ獲りに来ているんだ』 日本語ではっきり拒否した」

身の危険を感じ、やむなく引き返した浜田さん。竹島で漁を行う韓国人を日本人が初めて目撃した瞬間でした。

浜田正太郎さんの義娘・ヨシ子 さん(80)
「あまりおしゃべりするお父さんでないのに、よく50人を目の前に『帰るように』と言ったなと思う。それほど竹島を返してほしいという気持ちの表れだと思う」

この4か月後の1951年9月、サンフランシスコ平和条約が結ばれ、竹島は国際法上でも正式に日本の領土となりました。しかし、条約が発効する直前、韓国は海洋主権の範囲を一方的に設定。「李承晩(りしょうばん)ライン」と呼ばれる境界線の韓国側には、竹島も含まれました。近寄った日本の巡視船が韓国側から発砲されたこともー。不法占拠の始まりでした。

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■竹島でアシカ漁を行っていた男性は…
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