【終戦特集】「7月28日を知っていますか?」戦争を知らない高校生が青森空襲を演劇で伝え続ける
終戦から今日で79年。青森空襲の悲劇を青森市の高校生が演劇で伝え続けています。
7月28日1945年に青森空襲のあった日。この日青森市の中央市民センターで青森空襲を題材にした演劇「7月28日を知っていますか?」が上演されました。演じたのは青森中央高校の演劇部。全国高等学校演劇大会の常連校です。
この劇の脚本ができたのは2015年。当時の部員が実際に空襲を経験した人に取材をして書いたもので毎年、青森空襲があった7月28日に上演しことしで10回目です。
★青森中央高校演劇部顧問 畑澤聖悟教諭
「はじめた年2015年は家族がおじいさん、おばあさんが経験したという生徒がいたんですけど今はいないんです 10年たって実際に経験された方が少なくなっているんだっていうことは身にしみて感じていて高校生が祖母の代、祖父の代の悲劇を語り継いでいくという作業というのはますます意味を持ってるという気がしています」
1945年に青森市を襲った青森空襲。アメリカ軍のB29爆撃機62機が午後10時37分から1時間11分にわたり8万3,000本の焼夷弾を投下。市街地の9割が焼失しわかっているだけで1,000人以上の人が亡くなりました。
青森市中央市民センターには青森空襲の展示室があります。
被害が大きかった原因のひとつに「防空法」があります。退去や避難を禁じ、守らなければ処罰するという法律です。青森では空襲の直前に「戦争を恐れ逃げたものは処罰する。7月28日までに戻らなければ配給を止める」という命令が出されました。結果的に市民は街に戻り犠牲者が多くなったのです。
★部員は
「死にたくなかっただろうし、そんな人たちが死んじゃったって考えたらすごい悲しくなっちゃうなって」
「青森市の新町の方だったりとか自分が普段使ったりするような生活圏内のなかで起きたことなので現実味がないんですけど 知らなかった分しっかり考えていかなければと思いました」
上演当日会場は満員です。
焼夷弾の投下。目を、耳を、塞ぎたくなるような現実が突きつけられます。
そして語られるのは青森空襲経験者の証言です。
「河原には焼夷弾が刺さったままの遺体 頭が、腹が、ぱっくり開いた遺体 蒸し焼き 黒焦げの遺体が並んでいました
みんな真っ黒な炭状の棒ぐいとなっていました
長い『棒』の片方の端に赤茶けた鉄かぶとがごろりと転がっていれば大人の男性
長い『棒』と短いそれが並んでいれば母と子
この日の死臭と腐敗臭と焼け焦げの匂いなどが入り交じった強烈な悪臭は いまだに鼻の奥から離れない気がしています
昭和20年7月28日
7月28日を私たちは決して忘れない」
★観客は
「風化させちゃいけない 79年たって、たった79年前なんだって感じました 若い世代だからこそ演劇を通してでもいいし、誰か一人でも多くの人に広まったらいいなと思います」
2年前の卒業生も見に来ていました。
★卒業生は
「私たちは戦争を知らない世代なんですけど そんな知らない世代が調べたり模索してやっていくことってとても大事だと思っていて 後輩たちは一生懸命調べて模索してやって伝えてくれたからこそ今日見た私にも響いた」
★畑澤聖悟教諭
「青森市に生まれた人間として青森市で起きた色んなことを知っておく 義務なのかな 義務だと思うな それを演じることで知ってほしい」
青森空襲があった事実を知り、想像して伝えることで考える平和の形とは…
★演劇部員は
「できるだけ多くの人が平和を目指そう、誰もが幸せである世界を目指そうっていう意思を持ってくれたら もしかしたら平和はいずれ実現するかもしれないですよね」
これからも毎年7月28日に青森空襲を「演劇」で語り継いでいきます。