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戦争で家族を全員失った女性 当時の経験と現在の思いを語る【高知】

2024年9月11日 19:00
戦争で家族を全員失った女性 当時の経験と現在の思いを語る【高知】
戦時中フィリピンで家族を失い、ただひとり生き残った高知市の女性がいます。
12歳で終戦を迎えた女性の運命は、想像もできないほど過酷なものでした。
いまも世界で争いが絶えない中、女性は誰にも同じ経験をしてほしくないと願っています。

母親の遺体のそばで泣き叫ぶ、小さな子ども。大きな木の根元で白骨化した旧日本軍の兵隊。
これらの絵は戦時中フィリピンのジャングルを逃げ続け、目のあたりにした現実を描いたものです。

絵を描いたのは、高知市に暮らす岡本静さん(91歳)。
静さんは戦争で家族を失い、ただひとり生き残りました。
ジャングルで怯えながら過ごした日々を、大小150枚を超える絵に描き残しています。

静さん
「忘れません、もう死ぬまで。夜も寝たらほかに考えることがないでしょ。もう白骨になって粉になって流れたかな。まだそのままかなと、そんなこと考えて」

静さんは、昭和8(1933)年、フィリピン・ダバオの田舎町で生まれました。
家族は13人。実家は食料品などを売る店を営んでいました。10人兄弟の三女で、年の近い妹の知子さんと遊んでいたことをいまも覚えています。

静さん
「いつも砂浜へ行って、大きな木が一本ありましたね。そこで妹と登っては海を眺めながら遊んだりした」

平穏に過ぎゆく毎日でしたが、1941年に始まった太平洋戦争が一家からすべてを奪い去りました。

静さん
「飛行機の音がした。竹を割るような音。バリバリ、バリバリ打ってきだして。両親もここにはおれんからまたどっか行こう言うて、それからもうずっと逃げ始め」

町が焼け野原になり、ジャングルへと逃れた静さんたち家族。アメリカ軍の爆撃で、仲良しだった妹の知子さんが最初に亡くなりました。

静さん
「すぐ近くに爆弾を落とされて、その破片が飛んできて妹の頭へ石が落ちてきた。眉から上がつぶれてました。『ともちゃんが死んだ』って私が大きな声で言って。ともちゃん、ともちゃんって揺すったら、う~んう~ん言うて、うなった。それっきりやった」

失意のままジャングルを歩き続けた家族。
泣き叫ぶ子ども。食料を奪い合う人々。白骨化した兵隊。まさに“地獄”でした。

静さん
「もうこっち見たら白骨、こっち見たらウジ虫が頭の先まで這い上がってはポロポロ落ちて。戦争で戦って兵隊が亡くなったと家族はみんな思ってるかもわからんけど、そうじゃないのよ。みんなもう、かつえて(空腹で)ね。お腹空かして食べるものがないから、みんなバタバタ死んだ」

家族は日に日に痩せこけ、そのうちに父親や弟、妹が相次いで命を落としました。
祖父と長女はジャングルの中ではぐれ、静さんがずっと背中に背負ってきた2歳の妹は、気づくと息を引き取っていました。
静さんは小さな亡骸をそっと、土に埋めました。

静さん
「体だけ土をかぶせて、なんか顔へはなかなかかぶせれんけんど。ザーッとスコールが来るから、見る間に水がたまる。すぐそこやから眺めて水がたまっていく。『お母さん恵美ちゃん、水が溜まっていくよ』って言うたら、お母さん涙流して何にも言わん黙ってた」
「しばらくしよったら、なんかお母さん、うわごと言い出して。ああ、うわごと言うて、こりゃいかん思うて。しばらくしたら止まったなと思ってみたら死んでるんよね」

ジャングルに入って数か月。家族13人のうち残るのは静さんを含めて兄弟4人になりました。

食べ物も飲み物も無い中で、懸命に生きた静さんたち。
どのくらいジャングルで過ごしたのか。いつ戦争が終わったのか分からなかったと言います。

母親を失ったあと、姉の美代子さんと三男で弟の亨さんは、体を動かすことができず生き別れに。

二男で弟の洋一さんはアメリカ軍の収容所に入りましたが、静さんに持たれかかったまま栄養失調で息をひきとりました。静さんは家族全員を戦争で失いました。

静さん
「ご飯とかは欠かしません。もうみんなね、お腹空かせて、かつえて(空腹で)死んでるのに自分だけ食べてもいかん思うて。ちっちゃい子どももおったから、ボールとかそんなの」

その後、アメリカ軍の収容所から病院船で日本に逃れた静さん。親戚のいる高知で暮らし、子どもにも恵まれました。

この日、静さんは高知市の神社を訪れました。県遺族会から依頼を受けて自らの戦争体験を話すことにしたのです。

家族を失った悲しみを言葉にするのはつらいことです。
それでも平和への思いが誰かに届けばと、記憶の糸を手繰り寄せ語りかけました。

静さん
「『お母さんが恵美ちゃんが死んでるよ』言うて。恵美ちゃんが死んで、その小屋の横に穴があったから埋めてちょうだいって。まわりにちょっと土があってかぶせてたら、上むいたら空が真っ暗になって、スコールが来る。こりゃスコールが来る、困ったなって。でも、顔へはどうしても土をかぶせるのに…」

参加者
「すごいご苦労があったんやなと思って。みんなに聞かしたい話」「うちの親父も一緒やなかったろうかと思う。食うもんはないし。終戦に生きちょったら、おってもらいたいと思った」

いまも世界中で続く紛争やテロ。
爆撃や焼け野原の映像を観るたびに胸が痛みます。

静さん「いまはもうね。あちこちまたね。戦争があるからもう観るたびに涙が出る。やっぱり思い出してね。爆撃で亡くなったとか、テレビなどで観たら、もうたまらん。早くもう戦争がなくなってね。世界が平和になってくれたら一番いいのよね」

世界では争いが絶えない一方で、戦争を体験した人々は年々高齢になっています。
貴重な声が失われていく中、われわれは静さんの思いに耳を傾け平和と向き合わねばなりません。
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