3.11 東日本大震災から14年 県内でも各地で黙とう 《新潟》
約1万5900人が犠牲となった東日本大震災の発生から3月11日で14年です。原発事故の影響などで最大1万人以上が避難した県内では現在も1700人あまりが生活を続けています。地震発生時刻には各地で黙とうが捧げられました。
3.11から14年。それぞれのあの日に思いを寄せます。
2011年に発生した東日本大震災では1万5900人が死亡し、いまも2520人の行方が分かっていません。地震による避難者の数は全国で2万8000人に上り、県内では今も1700人以上が生活しています。
地震発生時刻の午後2時46分、県内でも黙とうが捧げられました。
福島県の南相馬市や浪江町などから最大で815人の避難者を受け入れた三条市。いまも22世帯51人が暮らしています。
【南相馬市から避難 佐藤聖幸さん(36)】
「(当時)遠目に津波が来ているところを見て大きな声で「逃げろ」と言っていたことが思い出される。いた場所によって生きた死んだもあったと思うので、大変だったと思い出す」
【南相馬市から避難 高野光輝さん(21)】
「14年って結構な年月で…忘れてしまう部分があって。亡くなられた方とか震災以降会えていない方々とか。風化させないために1日でも1年の中でこういう式や報道を見て、思い返す日はとても大切」
新潟市西区でも…地震のあと南相馬市から避難してきた後藤素子さん。趣味のパッチワークを通じて多くのつながりができました。
【南相馬市から避難 後藤素子さん(60)】
「3月11日は、普段通りに過ごしたいというのが私の思い」
原発事故のあとふるさとの南相馬市は立ち入りが制限されました。
【南相馬市から避難 後藤素子さん】
「旅館では4人一部屋でしたし、物も増やさずにただ過ごしているという感じ」
これは14年前の映像。しばらくは精神的にも趣味の小物作りができる状況ではありませんでしたが、徐々に日常を取り戻し、子どもたちも元気な母を応援していました。
【後藤さんの二男(当時)】
「手作業でやるのが好きで、見ればいっつもやっています」
【後藤さんの長男(当時)】
「楽しくやってほしいですね」
当時、中学生だった子どもたちは…
【後藤素子さん】
「29歳と27歳ですね」
立派な青年になり、社会で活躍しています。
不安だった新潟での避難生活。当時、譲り受けた裁縫用の定規は今でも大切に使っています。
【南相馬市から避難 後藤素子さん】
「私も道具も全部津波で無くなりましたので、そこで温かいものをいただいたというのはそのときの気持ちを思い出しますね」
第2の故郷となった新潟。一方で、南相馬への思いも消えないといいます。
【南相馬市から避難 後藤素子さん】
「私がいたところは原発に1番近いところの南相馬だったので、そこに戻っている私の知り合いは少ない」
Q)将来の夢は?
「普通に暮らすということですね」
一度は失った日常に感謝の思いを持って…あの日を思いながら第2のふるさとで交流の輪が広がっています。