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「もっと一緒にいたかった」父が最後に居た場所へ 御嶽山の噴火災害10年 遺族らが慰霊登山「こういう被害に遭ってほしくない…」 

2024年7月29日 21:06
「もっと一緒にいたかった」父が最後に居た場所へ 御嶽山の噴火災害10年 遺族らが慰霊登山「こういう被害に遭ってほしくない…」 

死者58人、行方不明者5人を出し戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から今年9月で10年です。きのう、遺族などが慰霊登山を行う中、特別な思いで頂上を目指した兄弟の姿がありました。

青空の下、厚い雲がかかった御嶽山。噴火災害の犠牲者家族などでつくる「山びこの会」のメンバーなど8組13人が慰霊登山を行いました。

午前11時半すぎ、雲に覆われた御嶽山の頂上、剣ケ峰に遺族などが続々と到着。

噴火発生時刻の午前11時52分に合わせて黙とうを捧げ、シャボン玉を飛ばして犠牲者を悼みました。

今年、初めて御嶽山に登ったのは父親を亡くした兵庫県の兄弟です。
次男・松井直人さん
「僕にとっての10年は父親のことを忘れたことはなかったので」

長野・岐阜県境の御嶽山は2014年9月27日に噴火。58人が亡くなり、今も5人の行方が分かっていません。

父の貞憲さんは頂上の剣ケ峰で倒れていたところを発見されました。山びこの会事務局代表のシャーロック英子さんの案内で貞憲さんが倒れていた場所へ。
涙があふれる三男の登輝也さん。

三男・松井登輝也さん
「父を近くに感じられるというところに足を運べたのがすごく良かったなと。もっと一緒にいたかったなって本当にそう思うからこそ周りの人にはこういう被害には遭ってほしくないなって思います」

次男・松井直人さん
「何で登ったんやろっていうのは。節目としては父親が最後にいたところにこられてかったかなというのは思います」

発生から今年で10年の節目。それぞれが犠牲者に思いを馳せた時間となりました。

そして、慰霊登山翌日の29日。
山びこの会が行方不明者の発見につなげたいと民間企業や地元の協力を得て調査に入りました。エリアは御嶽山9合目付近の登山道から外れた沢筋。

マウンテンワークス三苫育代表
「行くことは不可能ではないが新たな発見があるのかということに関しては非常に難しいと感じた」

今回の調査を経て9月ごろをめどに行方不明者の捜索を目標としていましたが会としての捜索継続に限界を感じています。

シャーロック英子さん
「想像していた以上に自然の大きさというか人間の小ささを思い知らされるような地形、あの広大な中からどう捜索をすればいいのかということもあの大自然の中に立った時に想像できなかった。10年問区切りでいったん今までの流れの捜索は考えようと。辞めますというのは非常につらいです」

それでも行方不明者の家族は…。

野村敏明さん(父)
「やり尽くしたというふうに自分としては思いたくないが、捜索によって手掛かりが見つかる可能性は加速度的に低くなっているという認識。まだ探せるところはあるのかなと」
野村正則さん(叔父)
「捜索自体をやめてしまうと亮太を家に帰すことはできない可能性が高くなってしまうので、できれば続けてほしい気持ちが私の中にはあります」

山びこの会は調査会社などの意見を踏まえて今後捜索を継続するかどうか判断したいとしています。

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