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手を合わせる登山客「命の最後にどんな景色を見ていたのか…」 父亡くした男性「災害の教訓を伝えることが使命」残された家族の10年

2024年9月27日 20:39
手を合わせる登山客「命の最後にどんな景色を見ていたのか…」 父亡くした男性「災害の教訓を伝えることが使命」残された家族の10年

27日の御嶽山、山頂付近では手をあわせる登山者の姿も多く見られました。

一方、麓で行われた追悼式では、噴火で父親を亡くした男性が10年間の思いを語りました。

雲間からその姿をのぞかせた27日朝の御嶽山。午前中は時折、青空を見せたり雨が降ったりと、その表情を変えました。

山頂付近ではそれぞれのペースで頂上を目指す登山者の姿がありました。

久和健一郎記者
「御嶽山山頂直下の八丁ダルミです。慰霊のため多くの登山者が登ってきています」

多くの犠牲者を出した尾根や山頂などでは、多くの登山者が手を合わせていました。

登山客
「亡くなられた方がどんな景色を見て最後に。命の最後にどんな景色を見てられたのかと思ってそれだけを思いました。苦しくなかったのかなと考えるだけでちょっと辛いですね」

登山客
「当時登った人は楽しみに登ってお昼を食べて、家族のもとへ帰るという気持ちで楽しんできたと思う。それが災害に遭って。本当に災害は恐ろしいですね。

突然、空高く灰色の噴煙が立ち上ったあの日。2014年9月27日午前11時52分ごろ

「やばい、避難所どこ?間に合わない…」

噴火とほぼ同時に山頂付近は火砕流に襲われ、視界が悪い中、多くの噴石が登山者を襲いました。

当日は天気が良かったこともあり山頂付近には大勢の登山者。

戦後最悪の火山災害となりました。

死者58人。捜索活動は難航し今も5人の行方がわかっていません。

噴火から10年の節目。麓の木曽郡王滝村では追悼式が営まれ、遺族や県の関係者などおよそ70人が参列しました。

黙とう(追悼式)「鐘の音カン・カン・カン」

噴火時刻の午前11時52分に捧げられた鎮魂の祈り…。遺族代表としてあいさつした兵庫県の松井登輝也さんです。御嶽山の噴火で父・貞憲さんを亡くしました。

登輝也さんは、今年7月の慰霊登山で初めて御嶽山に登りました。貞憲さんは頂上の剣ケ峰で倒れていたところを発見されたといいます。

御嶽山の噴火で父親を亡くした松井登輝也さん
「私は高校2年生の時に御嶽山の噴火で父を失いました。遺体安置所で包帯が巻かれた父と再開しました。頭に噴石が直撃した顔も分からない状態でした。祖母や母が確認し、家族みな涙が溢れ出しました。あの災害から10年。私は教師になり、このような経験を子どもたちに話ことがあります。父の思いを私が生きた教科書として伝えていくこと、また災害の教訓を伝承していくことが、今後の私に与えられた使命だと思っています。まだまだ一緒に過ごしたかったね。親孝行が全然できなくてごめんね。いろいろな近況報告を一緒に話したかった。お酒も一緒に飲みたかったね。私の自慢のお父さん、私を育ててくれてありがとう」

御嶽山の噴火によって最愛の人を亡くした遺族の10年。

遺族・所清和さん。息子とその婚約者を亡くす
「10年の節目ありません。ただ10年目というだけです。普段あんましゃべらない子だったから元気でやっているかくらいで心のなかでいうくらい」

遺族・荒井寿雄さん
「10年なんて早いもんだなと今思っています。あれがなければいま私は幸せだったんだけど。いつも同じだが、どうしてそんなに早く亡くなってしまったんだということとお父さんとお母さんの心配はいいからお前は安らかな毎日を送れと」

遺族・野口弘美さん
「10年間振り返りながら一生懸命歩いてきてこれからは泉水さんの恩恵に預かることなく自分の力で生きていかなきゃいけないと思っています。私みんなに応援されて守られて助けられて頑張っています」

遺族・所清和さん
「10年の節目ありません。ただ10年目というだけです。普段あんましゃべらない子だったから元気でやっているかくらいで心のなかでいうくらい」

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