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【震災14年】楽しく防災学ぶ 元消防士が伝える「備え」の大切さ

2025年3月21日 18:59
【震災14年】楽しく防災学ぶ 元消防士が伝える「備え」の大切さ
特集です。東日本大震災当時、二戸地区の消防署に勤め、沿岸の被災地でも活動した男性がいます。今は防災士として次の災害に「備える」ことの大切さを伝えています。

その人の防災講演はなぜか笑いに満ちています。

荒谷雄幸さん
「今、弘前の方で憧れの単身赴任中であります。ここしか笑うとこなかったんですけど」「両手を空けて歩けますよね。拍手いただくと励みになります」「じゃあ、閉会までこの状態で」

防災士として活動する、荒谷雄幸さん64歳。この日は次の災害に備え、地域の防災リーダーの研修会が宮古市で開かれ、およそ30人が参加しました。

東日本大震災の時は、二戸消防本部・一戸分署の副分署長を務めていた荒谷さん。沿岸被災地でも活動しました。

荒谷さん
「60%の人が戻って亡くなっている人です。寒いから服を取りに行ったりとかお金を取りに戻っているはずです。寒いから。家から逃げているときに防寒着 どこにあったかという話ですよね」

被災地で見たり聞いたりした経験をもとに、「備える」ことの大切さを伝えています。

震災当時は各都道府県からの応援の消防車両の列とともに、久慈市から野田村に向かいました。

「高齢のご夫婦の人だと思うんですけど、両手を合わせて車列へ拝んでいたんですね。それを見た若い隊員が、拝んでる、拝んでるみたいな、 ちょっと笑い加減というか、そういう雰囲気だったんで、ここは笑うところじゃないぞと、この光景をずっと忘れないでね と話した記憶があります」

母親の故郷だった野田村。幼いころから慣れ親しんだ景色とは全く変わってしまっていました。さらに「備える」ことを強く意識するようになる原点となった出来事がありました。

荒谷雄幸さん
「3日目ぐらいになって、陸前高田から非常用の電話で(消防学校の時の)二人一組のバディだった人間が津波に救急車で流されてという向こうで涙声の連絡が入って」

消防学校の同期入校で荒谷さんより2歳年上の村上さん。救急車を高台に避難させようとしていたとき、津波に巻き込まれました。

荒谷雄幸さん
「まさかという言葉はあまり使いたくないんですけど、 亡くなったんだなということと、 自分の気持ちを切り替えていく。 次に『備え』なきゃないなって、 背中を押されたという言葉は、 たとえとしてどうかわからないが、そういう部分もある」

震災のあと、初めて訪れた場所があります。
(荒谷雄幸さん 手を合わせる)

荒谷雄幸さん
「そうか、お母さんも亡くなっているから、あと子どもさんが亡くなっているだよ。次男が」「よかったです。こんな立派なの作ってもらって。よかったです」
「(村上さんは)お兄ちゃんなんで2歳上なので。この人と半年間訓練の時に一緒に怒られたりとか頑張んなきゃないんだというの はある。高い所からロープ伝って、ここに乗っけて降りたり。怖いじゃないですか。 誰もが。そういった時に大丈夫だから、荒谷頑張れとか 声かけてくれたりとか、でもお前も震えているぞとか、 そんな感じでね。一緒にそうやって厳しい訓練をやったお兄ちゃんだったんで、とても助けられました。ただそういう悲しいことに合わないために、日ごろの備えを私がお話させていただいていました」

荒谷雄幸さん
「風呂から引き上げたり、車両からの緊急脱出」「両脇から手を入れてあげて、片っぽの手だけ、片っぽの手だけを握ればいい。そうすると、楽な感じで引っ張れる」
「そう、そう、そう、いいですね。いいですね。楽ちんでしょ。こうやるよりも」「防災は楽しくやらないと長続きしません」

研修会に参加した高校生
「すごく楽しく面白く、講演してくださった。私は将来消防団に入りたいと思っているのでその時に役立てたらいいなと思っていて」

荒谷雄幸さん
「大事なのは自助・共助・公助、プラス近所。近くの人が助け合うというのがとても大事なのかなと思っています。自分が両隣の人を確認したら、隣の人が両隣を見るだけでいいし、仮に見れなくても心を寄せる、 思いを寄せるだけでも、安心・安全が広がっていくのじゃないかなと思います」

「備える」ことを続けてほしいから、荒谷さんの防災講演は笑いに満ちています。
最終更新日:2025年3月21日 19:09
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