【速報】奈良・富雄丸山古墳で「木棺」の本体と蓋の両方から『縄掛突起』現物を初めて確認…用途は不明 日本最大「蛇行剣」と「盾形銅鏡」下の棺から新発見
国内最大の蛇行剣と、日本初の盾の形をした銅鏡が発見された奈良市の富雄丸山古墳で、剣と鏡の下から見つかった「木棺」についての今年度の発掘調査の成果報告が27日に行われ、棺の本体と蓋の両方から「縄掛突起(なわかけとっき)」の現物が初めて確認されたと発表しました。
■4世紀後半“日本最大の円墳” 「蛇行剣」などの下に当時のままの「木棺」
奈良市の富雄丸山古墳は、4世紀後半に作られた直径100メートルほどの丸い古墳「円墳」です。円墳としては日本最大の大きさで、当時の有力者が葬られていたと思われますが、古墳の頂上にある墓は壊され、誰が埋葬されていたかは分かっていません。
しかし、2022年度の調査で古墳の中腹から、国内最大2.3メートルの長さの「蛇行剣」と日本初の盾の形をした銅鏡が発見され、大きな話題となり、更にその下から、埋葬された当時のままの荒らされていない状態で木製の棺「木棺」も発見されました。「木棺」が盗掘されていない状態のまま、痕跡のみならず木棺本体が見つかるのは珍しい事例だということで、2023年12月から2024年7月にかけて木棺の発掘と調査が行われていました。
奈良市の埋蔵文化財調査センターの発表によりますと、木棺の下部の本体である「身」と呼ばれる部分は、長さ約5.8メートル・幅は70センチほどの大きさで、全体の約7割が残っていました。土に埋まっていたにもかかわらず非常に良い保存状態だったということで、木棺の構造やその置き方について新たな知見も得られたということです。
■史上初めて『縄掛突起』現物確認 密閉性を高めたか、運搬目的の説も…用途は不明
さらに、木棺の本体である「身」と上部の「蓋」のそれぞれの端から「縄掛突起」と呼ばれる部分が史上初めて確認されました。「縄掛突起」は8本あったことが確認され、うち3本が現存していました。縄掛突起については、腐ってしまうケースが多いため、これまで土に残された痕跡でしか存在が確認されておらず、現物が見つかったのは史上初めてです。
これまで縄掛突起は、身と蓋の突起部分を縄で結ぶことで棺の密閉性を高めることが使用方法の一つとして想定されていました。ところが、今回の調査では、突起部分が粘土で覆われていて縄をかけられない状況だったことがわかり、他にも運搬のために使われたという説もあるということですが、具体的な用途については分かっていないということです。
■木棺内から見つかった銅鏡の種類は「調査中」
また、木棺の中からは副葬品の銅鏡や竪櫛(たてぐし)が見つかっていて、県立橿原考古学研究所が保存のための応急処理に取り組んでいます。銅鏡は棺内で鏡面を上に向けて置かれていたということですが、現時点では鏡面の保存処理を先に実施しているため、背面の文様が分かっておらず、鏡の種類が特定されていません。
奈良市の埋蔵文化財調査センターは、来年度には鏡の種類を特定するとともに、表面に刻み込まれているものを精査した上で、新たな研究成果として発表したいとしています。また副葬品の銅鏡や木棺の保存処理が終わった段階で常設展示したい考えで、2028年度にも新たに開設される「奈良市文化財センター」で展示することを検討しています。
今回の研究成果について、奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターの柴原聡一郎技術員は、「富雄丸山古墳は蛇行剣や盾形銅鏡などの副葬品に焦点が当てられがちだが、これほどまで木棺が残った事例は珍しい。木棺は、痕跡によってある程度サイズがわかるが、痕跡では外側の形だけしかわからない。木棺本体が出てきたことで内側の形状など細かい構造がわかったのが非常に重要な意義である」と今回の成果を強調しました。