高校サッカー名将小嶺忠敏さん死去 76歳
高校サッカー界の名将で知られ、長崎・国見高校を戦後最多タイの6度の選手権優勝に導いた小嶺忠敏さんが7日朝、亡くなりました。76歳でした。
関係者によりますと、7日午前4時過ぎ、長崎県内の病院で亡くなったということです。
小嶺さんは1968年から島原商業高校で16年間、1984年からは国見高校で23年間、サッカー部の監督、総監督を歴任。
選手権やインターハイなど全国大会には112回出場に導き、全国制覇は17回。冬の選手権では、国見高校時代に、戦後最多タイとなる6度の優勝に導きました。
小嶺さんは、生徒たちとの接し方について「いつも真剣勝負です。教えると言う気持ちより、私自身、生徒に負けないようにいつも勝負している感じです。授業に遅れたことは一度もありません。水が低きに流れるのと一緒で子どもはどうしても楽な方に流れてしまうものです。だから学校と家庭でしっかり人間教育をしなければ強いチームはできません。日本のサッカーが強くなっていくためには人間教育をしっかり受けた選手が鍵を握ると思います」と語っていました。
長崎総大附属には2008年に就任し、11年から本格的に指導を行っていて、チームを今大会の選手権出場に導きました。
8日の準決勝から、東京・国立競技場で行われることに小嶺さんは、「国立競技場は夢を実現させてくれた場所。そして新たな夢を与えてくれた場所。ただ、全力を尽くすだけ」と思いを語っていましたが、体調不良を理由にチームに同行していませんでした。
教え子には、昨季限りで引退した大久保嘉人さんなど、元日本代表やJリーガーは70人を超えています。
また、小嶺さんが2006年から約5年間代表取締役社長を務めていたJ2長崎は、「長崎県のサッカー界及びV・ファーレン長崎発展に尽力された、現長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部小嶺忠敏監督がご逝去されました。クラブ一同、心より小嶺監督のご冥福をお祈りいたします」と追悼のメッセージを発信しました。
写真:アフロ(2019年1月撮影)