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過去12回の出場で8度の2位 悲願の初Vへ大東文化大の救世主はキュートなケニア人留学生 “日本の父”との出会いと仲間たちの絆

2023年10月29日 8:30
過去12回の出場で8度の2位 悲願の初Vへ大東文化大の救世主はキュートなケニア人留学生 “日本の父”との出会いと仲間たちの絆
仲間とポーズを決めるサラ・ワンジル選手
第41回全日本大学女子駅伝が29日正午に号砲を迎えます。大東文化大学は、過去12回の出場で8度2位。あと一歩で日本一に届かず、“シルバーコレクター”の称号に甘んじています。

悲願の初優勝へ。今年、チームに救世主が現れました。 大東文化・伝統の「D」ポーズが、ぎこちないケニア人留学生、1年生のサラ・ワンジル選手です。

好きな日本語は「『書く』と『読む』」と答える彼女は、9月の日本インカレ10000メートルで、他大学のエースたちを寄せ付けずトップを独走。圧倒的な強さで学生チャンピオンに輝きました。

まだ日本での生活は戸惑いが多く、寮では「間違えたバスに乗って、10キロくらい走って(戻った)。めっちゃびっくりした」と屈託なく話し、チームメイトを笑顔にさせる存在です。

■進化のワケは“日本の父”との出会い

夢は世界チャンピオン。しかし、ほんの数か月前、誰も今の強さを想像していませんでした。 腹筋がほとんどできないほど筋力が弱く、走るための体ができていなかったといいます。

春の練習では、外園隆監督が「きつかったら今日やめていいよ、どうする?」と問いかける場面もあり、サラ選手は「やめる」と話して練習を途中離脱していました。外園監督は「特別すごく強くはない。基礎体力の上に走る技術を勉強している」と話します。

その上、苦労していたのが学業。サラさんは「今は漢字の読むと書くが難しいです」と話し、進級するため、授業とは別に1日2時間を勉強に費やさなくてはなりません。

「(ホームシックに)なったことあります。毎日悲しいくらい」と明かしたサラ選手は、3年前に陸上留学で来日。高校時代は特別な成績を残せませんでした。 実業団からのオファーもなく本国に帰らなければならない状況で、偶然出会ったのが外園監督でした。日本の大学で陸上を続けるチャンスをもらい、「サラなら勉強と走る、できる(と言ってくれた)。うれしかった。ハートがいい。He is like my father.(お父さんみたい)」と明かします。

監督から送られた英文メールには、「日本の父より」の文字が。外園監督は「我が子です。本当に自分の娘です。日本人選手にお父さんお母さんがいるように、サラにも(日本で)温かい環境を作ってあげたい」と話します。

日本の父・外園監督に支えられ、ひたすら弱点の筋力アップを行う日々。すると、半年ほどでその効果が表れました。体幹が安定したことで格段にフォームがよくなり、5000メートルのタイムを入学時から19秒も更新。9月の日本インカレで学生チャンピオンになりました。

チームメイトから「がんばったサラ」と声をかけられ、誰よりひたむきに頑張り結果を出す姿に、仲間たちも感化されていきます。「ひたむきに頑張っている姿を見ると私も頑張れます」「(サラさんの影響で)チームが一つになる力が高まっている」 その存在がチームの雰囲気を変えていきました。

■留学生エース不調で試されたチーム力

大東文化のチーム力が発揮されたのは、9月に行われた全日本の前哨戦、関東大学女子駅伝。

この日、エースのサラ選手は体調不良で、万全とはほど遠いコンディション。しかし、本人たっての希望で出場することになりました。

外園監督は「(サラがチームに与える)勇気、パワーは大きい。それを本人が分かっている」とその姿を見つめます。

1区は1年生の吉井優唯さん。「サラだけに負担をかけてはいけない」と先頭集団に最後まで食らいつき、3位でタスキをつなぎます。サラさんの負担を軽くしようと2区藤原唯奈さんも必死の走り、2人を抜いてトップに立ちます。

エース区間・3区のサラ選手、タスキを受けると、体調不良をものともしないペースで飛ばします。しかし、最長8.6キロという長丁場、後半には険しい表情に。それでも、苦しいときに沿道にいたのが外園監督でした。「サラあと600メートル最後頑張って」と外園監督の励ましを受けラストスパート。 何とか区間2位で走り切りました。

その頑張りを受けた仲間たちも立て続けに区間新記録の走り。2位に2分以上の差をつけて優勝しました。6人中4人が区間賞。チーム力の高さを証明し、全日本へ弾みをつけました。外園監督は「近年にない大きなチャンスだと思います」 と話します。

サラ選手は「優勝を監督にプレゼントしたい」と外園監督に伝えました。心強いチームメートとともに、日本の父への恩返しのため、各大学のエースが集う5区を走り、全日本初制覇に挑みます。