駒澤大・篠原倖太朗 “涙”を流したあの日...救ってくれた存在とは 「強い駒澤」を次世代へ紡ぐ挑戦の1年
■前回大会終了後の翌日に誓った思い
翌年、節目の第100回大会では、史上初となる2年連続大学駅伝3冠に王手をかけていましたが、青山学院大学に敗れ2位。1区を走った篠原倖太朗選手は区間賞でしたが、涙をこらえきれませんでした。
翌日の4日から新チームが始動。
「箱根駅伝で優勝するのは駒澤じゃなければいけない」
新チームのキャプテンに就任した篠原倖太朗選手が挨拶の場で語った言葉です。
この時すでに決めていたとキャプテンが話すチームスローガンが「原点と紡(つむぐ)」です。この言葉に込めた思いとは「自分の中で印象が強い先輩たちを自分が今受け継いでいる、紡いでいる。自分も後輩たちに紡いでいってほしいなと思ってつけました」と語ります。
■トラック不振の春 「チームのため」キャプテンの決断は?
5月、関東インカレでは、チームの成績が落ち、このままでは駅伝シーズンを戦えない。キャプテンはある決断をします。
スイスでの高地合宿をキャンセルし、チームに残って部の夏合宿に参加。海外合宿は大八木弘明総監督に声をかけられたチームのトップ選手のみが参加できます。
過去には前年のキャプテン鈴木芽吹選手と同部屋でアメリカでの海外合宿を経験。今季は個人よりもチームのレベルアップへ。大事な夏場をチームのために使いました。
しかし、この決断には鈴木芽吹選手も驚いたようで、「篠原が抜けてみんなに頑張ってもらうのもそれはそれでアリなんじゃないか」と声をかけたそうでが、「それでもやる」と、意思は固かったといいます。
すべては「強い駒澤」を作るため。チーム練習では後輩の設定タイムに合わせ、練習を引っ張ります。彼らに自信をつけてもらいたい。そんなリーダーシップあふれる行動に、3年生の山川拓馬選手は「チームのために残ってくれたのはすごくありがたいです。本当に頼もしい」と信頼を口にしました。
■後輩の成長と悔し涙のキャプテン 救ってくれたのは慕う先輩の電話
10月、駅伝シーズンが開幕。初戦の出雲駅伝では、篠原倖太朗選手の思いに応えるように後輩たちが奮起し、山川拓馬選手が3区区間2位、4区の伊藤蒼唯選手(3年)は一時先頭に立ちます。
アンカー6区の篠原倖太朗選手は、トップの國學院大學とわずか4秒差の2位でタスキを受け取り、スタート。すぐさま前を走る國學院大學のエース平林清澄選手をとらえ、並走します。しかし少しずつ離されて、2位でフィニッシュ。チームメートに「申し訳ない」と謝り、涙を流します。「チームにあそこまで迷惑をかけたのは初めてだった」といいます。
大会後、すぐに電話をかけた人がいます。それは前キャプテンの鈴木芽吹選手です。「(篠原選手が)泣きながら電話してきたんですけど。僕は篠原が夏合宿でチームに残って頑張ってきたことが1区から5区までの選手の頑張りだと思って見ていたので、2位までいけたのは篠原の力だと思うよと言いました」と。
誰より慕い信頼する先輩からの言葉。翌朝再び前を向き練習に向かう姿がありました。
■“強い駒澤”を受け継ぐ次世代 区間17位で涙を流す1年生に渡したものとは
「この順位で彼(桑田)が責任を負ってしまうことになると思ったので、少しでも前でタスキを渡せたらと思って走りました」
後輩に責任を負わせまいとキャプテンが、順位を2つ上げる走りで区間賞を獲得。アンカーの山川拓馬選手も区間賞の走りで、駒澤大は一時16位に沈みながらも、最終的に2位でゴールしました。
閉会式の後、涙を流す桑田駿介選手にキャプテンが声をかけます。
「(悔しさを)忘れないで。部屋に飾るんだよ」と言って手渡したのは、閉会式でもらったばかりの区間賞のトロフィーを期間限定の貸し出し。いつか自分で区間賞を獲得するその日までと。
先輩から受け継ぎ、紡いできた“強い駒澤”を今度は後輩へ。「原点と紡」その目標を掲げた駆け抜けた1年間。ともに過ごした仲間たちとの最後の箱根駅伝へ。
篠原倖太朗選手は「区間賞を取りたいなとは思いますけど、まずはチームを勝たせないといけないので。優勝できればそれはそれで本望です」と白い歯をのぞかせました。