「平成の三四郎」古賀稔彦さん通夜に3千人
今月24日にがんのため53歳の若さで亡くなった柔道・バルセロナ五輪の金メダリスト古賀稔彦さんの通夜が28日、川崎市内の寺院でしめやかに営まれました。
会場には全日本柔道連盟の山下泰裕会長(63)や、競泳の北島康介さん(38)など約3000人が参列し、古賀さんとの早過ぎる別れを惜しみました。
豪快な一本背負いが魅力で「平成の三四郎」の異名をとった古賀さん。白い柔道着に身をまとい、黒帯を締め、最後まで柔道家の姿でひつぎの中に納められていたといいます。
遺影にはバルセロナ五輪の決勝で勝利した瞬間に見せたガッツポーズの写真など3枚が並び、戒名は「金剛院献柔稔制大居士」(こんごういんけんじゅうねんせいだいこじ)。
古賀さんのスタイルである“柔よく剛を制す”から「剛」「柔」「制」の3字が取られ、さらに金メダルの「金」や名前の「稔」も入り「日本柔道に貢献された」という意味が込められました。
柔道私塾「講道学舎」で古賀さんの2学年後輩だったバルセロナ五輪男子78キロ級金メダルの吉田秀彦さん(51)は、「亡くなる前日に僕は会っていて、ここから元気になってくれると信じて先輩に声をかけたので…。それが通じずに亡くなってしまったので、信じられない気持ちでいっぱいです」と涙を浮かべながら話しました。
また、古賀さんとは同学年で高校時代から旧知の仲だった小川直也さんは、「彼が死んでから高校時代の夢を見た。互いに当時の高校時代の制服を着ていて…。かけがえのない友を失ったよ」と寂しそうに話すと、「言葉が出ない。バカヤローって感じだよ。早えーよ」と、どこにもぶつけようのない無念をあらわにしていました。
また、祭壇の隣に設置された展示スペースには古賀さんの柔道着や金メダルが飾られ、国際オリンピック委員会のバッハ会長からの追悼メッセージもありました。
古賀さんの葬儀・告別式は29日に営まれます。