三宅宏実「幸せ」36歳誕生日に引退会見
ウエイトリフティングの三宅宏実選手(36)が18日、自身36回目の誕生日に都内で引退会見を行いました。
三宅選手は2004年のアテネ大会で五輪初出場を果たすと、そこから5大会連続出場。12年のロンドン大会では銀メダル、16年のリオ大会で銅メダルと、2大会連続でメダルを獲得しました。
「大好きな競技を長く続けられたことは私としてもすごく幸せな時間であり、無我夢中になれた競技人生を送ることができました」と21年間の競技生活を振り返りました。
また、引退会見が誕生日だったことを聞かれると「狙ったわけではないが、大安という日もあって、たまたまこの日に」と、笑顔で答えました。
◇以下、主な一問一答
――冒頭のあいさつ
私は2000年のシドニー五輪をきっかけに競技を始めました。初めて銀メダルを獲得したロンドンでは選手として、最もピークを迎えたときでした。リオではもっと維持ができると思っていたんですけども、ケガや体力の衰えを感じたり、4年の重みを改めて感じました。
東京五輪では残念ながら、結果を残すことは出来なかったんですけども、いま出せる自分の力が、いま出せる自分の限界だということを納得した大会でした。
21年間、大好きな競技を長く続けられたことは私としてもすごく幸せな時間であり、無我夢中になれた競技人生を送ることができました。まだ私としては終わりではなく、新しいチャレンジとしてこれからも頑張っていきたいと思います。
――五輪の舞台は三宅選手にとってどんなものだったか?
五輪の舞台から夢をもらったところからスタート。その舞台を経験すると「また出てみたい」と思わせてくれる舞台であったり、私としても長い人生の中での五輪は、人生の通過点なのかなというふうに思っていて、そういう経験ができてよかった。
――21年間の競技生活を振り返って、自分をほめてあげたいところは?
結構、飽き性なので、何事も続かないが、唯一この競技だけがずっと飽きずにのめり込んで。21年間、継続してできて、そこが一番よく頑張ったかなと思います。
――引退を決めたのはいつだったか?
引退を決めたのは、もし東京五輪がなかったら、リオ五輪で私の引退、となっていたと思う。4年先の東京五輪があったので、「頑張ってみよう」とチャレンジした。
実際、東京五輪が選手としては最後と決めていたんですけれども、今年11月に全日本女子選抜選手権大会があり、東京五輪が無観客ということもあったので、最後に見てもらったら、という思いもあった。
そこでまた引退ができたらいいかなと思っていたが中止も伴い、父と相談した中で、私も腰に限界が来ていることと、そういうことを監督もわかっていたので、話し合いの末、このような場を作ってもらいました。
――父・義行さんに伝えたときはどんな反応だったか?
いつもと変わらなかったと思います。冷静に「次どうしようか」という感じで、わりと自然な感じだったと思います。
――ウエイトリフティングの魅力は?
ウエイトリフティングは重たいものをあげる世界なので、重たいものを一番持てている時は一番楽しい。
記録が数値として見えるので、結果がすぐわかる。どれだけ強くなったかが、目ではっきりわかるからこそ、やりがいがあって目標設定ができたので、競技を通して無我夢中になれたというのはすごく面白さもあり、考えることも多く、本当に魅力にとりつかれた競技であったと思います。
――引退会見の日を誕生日に選んだ理由は?
きょう聞かれるんじゃないかなと思っていたんですけど、きょう狙ったわけではない。
きょうが大安ということもあり、本当にきょうこの日たまたま。誕生日という、年を一つ重ねた日にけじめをつける場をいただいて、また新たなスタートが始まっていくので、いいスタートがすぐ切れるように頑張っていきたい。