柿谷曜一朗 ヴォルティスでの5季振り返る 23日に引退セレモニー【徳島】
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23日の試合の前には、通算5シーズンヴォルティスで活躍し昨シーズン限りで退団した柿谷 曜一朗さんの引退セレモニーが行われました。
今の心境などインタビューにも答えていただきました。
(柿谷曜一朗さん)
「この地が大好きですし、サポーターの皆さんのおかげで、徳島ヴォルティスのおかげで、約20年間サッカーをすることができました。ここで出会った人たちヴォルティスのスタッフ、選手、サポータの皆さん、本当に19才の時、まあ、ひどい僕をあたたかく迎えて頂き、そして、僕のサッカー人生最後のクラブにしていただき、本当に心から感謝しています」
(野口アナ)
「現役生活、お疲れさまでした」
Q.今の心境は?ほっとしているのか?実感がわかないのか?
(柿谷さん)
「実感わきまくりですよ。もうちょっとサッカーやりたいって思いながらこの1カ月くらい過ごすのかなって思ってたんですけど、サッカーやめるって決めてから、ほんまに自分サッカーやってたんかなって思うくらいサッカーやりたいって思わないんですよ」
Q.それはどうして?
(柿谷さん)
「しんどかったんでしょうね。若い選手が多いし、すごい運動量求められるサッカーなんで」
Q.改めて、どうして引退という選択を?
(柿谷さん)
「年齢的にもこんなこんかなというのもあるし、やっぱり、求められて、なんぼじゃないですか。求められてないなと思ったし、他のクラブからいくつかありがたいことにオファーもあったが、これから上を目指してく若い選手とともに、もう終わるって気持ちでやってる僕のもうサッカー観とか熱量が揃うわけがないと思った。だからそこはもうきっぱり早くどこう」
Q.(最後の)2年間は?
(柿谷さん)
「しんどいかったです、ずっと。勝てないので、とりあえず。勝つために努力しているところは人に見せない。だけど勝つためにやってても勝てない。だから、何しているんだってなるじゃないですか。その苦しさはすごいあったし、自分としても、全部の責任を負う背負うつもりで帰って来てるから、まあ、しんどかったですね」
「でもまあ、正直最後の方の試合は出てなかったじゃないですか。そういったところで、自分の中で寂しさもあったし、ただ別にチームはうまく上昇していったので、選手としてもちろん悔しい気持ちもあったけど、自分はこの苦しい所をみんなで乗り越えられたってところに、自分の中ではもう満足していました」
Q.ヴォルティスはどんなチームだった?
(柿谷さん)
「僕がプロをスタートしたチーム。もちろんセレッソ大阪で16才の時にプロにはなりましたけど、あのときは、プロになったというよりかは、トップチームの練習に参加していた16才のクソガキだっただけで、改めてプロでやっていく厳しさ、楽しさを教わったチームですし、自分にとっては、プロサッカー選手としてスタートした場所です」
Q.ヴォルティスにいた中で忘れられない瞬間は?
(柿谷さん)
「なんやろな、若い時で言ったら、来て(移籍して)すぐ初ゴールが初試合やったとか昇格岡山(戦の)の時できなかったけど、自分は徳島ではなくて次のシーズン、セレッソに帰ってプレーしたとか、自分にとってのポイントはいっぱいあるが、今振り返ってみても結局この人に会えたからいいや、みたいなのがあって、美濃部さんとか(倉貫)カズキさんとか」
「まあでも美濃部さんは、お父さんみたいな人。思い出っていうのは怒られた思い出しかない」
Q.印象に残っている怒られ方は?
(柿谷さん)
「ギリギリですか?『お前のプレーはどうでもいい』『お前が楽しかったらそれでええんやったら出ていけ』と。週10くらいで言われました。週7ではなくて。それぐらい自分勝手にプレーしていた。言われれば言われるだけ直したくない。お父さんに言われたら嫌じゃないですか。そういう気持ちでやっていた。常にお前は『なんで香川(真司)はあんなところにおって、お前はそこにおるねん』と。こっちがむかつくようなことばっかり言われて。やけど、今思えば、その通りやし。でも美濃部さんは、いいプレーやったら、いいプレーしたら全力で褒めてくれるから。うまいこと飴と鞭にやられたな」
「今35歳ですけど、25歳までやれていたか分からないサッカー人生、ここまでできたのは、間違いなく美濃部さんのおかげだと思います」
Q.徳島で過ごした時間は?
「どこ行っても応援してくれるというか、『次の試合頑張ってな』とか、『前の試合観に行ったで』とか、どこ行っても言われるので、どこ行っても家族がいるような場所」
「これからは、サッカー選手ではないですけど、柿谷曜一朗という人間を徳島から今後とも応援お願いします」
今の心境などインタビューにも答えていただきました。
(柿谷曜一朗さん)
「この地が大好きですし、サポーターの皆さんのおかげで、徳島ヴォルティスのおかげで、約20年間サッカーをすることができました。ここで出会った人たちヴォルティスのスタッフ、選手、サポータの皆さん、本当に19才の時、まあ、ひどい僕をあたたかく迎えて頂き、そして、僕のサッカー人生最後のクラブにしていただき、本当に心から感謝しています」
(野口アナ)
「現役生活、お疲れさまでした」
Q.今の心境は?ほっとしているのか?実感がわかないのか?
(柿谷さん)
「実感わきまくりですよ。もうちょっとサッカーやりたいって思いながらこの1カ月くらい過ごすのかなって思ってたんですけど、サッカーやめるって決めてから、ほんまに自分サッカーやってたんかなって思うくらいサッカーやりたいって思わないんですよ」
Q.それはどうして?
(柿谷さん)
「しんどかったんでしょうね。若い選手が多いし、すごい運動量求められるサッカーなんで」
Q.改めて、どうして引退という選択を?
(柿谷さん)
「年齢的にもこんなこんかなというのもあるし、やっぱり、求められて、なんぼじゃないですか。求められてないなと思ったし、他のクラブからいくつかありがたいことにオファーもあったが、これから上を目指してく若い選手とともに、もう終わるって気持ちでやってる僕のもうサッカー観とか熱量が揃うわけがないと思った。だからそこはもうきっぱり早くどこう」
Q.(最後の)2年間は?
(柿谷さん)
「しんどいかったです、ずっと。勝てないので、とりあえず。勝つために努力しているところは人に見せない。だけど勝つためにやってても勝てない。だから、何しているんだってなるじゃないですか。その苦しさはすごいあったし、自分としても、全部の責任を負う背負うつもりで帰って来てるから、まあ、しんどかったですね」
「でもまあ、正直最後の方の試合は出てなかったじゃないですか。そういったところで、自分の中で寂しさもあったし、ただ別にチームはうまく上昇していったので、選手としてもちろん悔しい気持ちもあったけど、自分はこの苦しい所をみんなで乗り越えられたってところに、自分の中ではもう満足していました」
Q.ヴォルティスはどんなチームだった?
(柿谷さん)
「僕がプロをスタートしたチーム。もちろんセレッソ大阪で16才の時にプロにはなりましたけど、あのときは、プロになったというよりかは、トップチームの練習に参加していた16才のクソガキだっただけで、改めてプロでやっていく厳しさ、楽しさを教わったチームですし、自分にとっては、プロサッカー選手としてスタートした場所です」
Q.ヴォルティスにいた中で忘れられない瞬間は?
(柿谷さん)
「なんやろな、若い時で言ったら、来て(移籍して)すぐ初ゴールが初試合やったとか昇格岡山(戦の)の時できなかったけど、自分は徳島ではなくて次のシーズン、セレッソに帰ってプレーしたとか、自分にとってのポイントはいっぱいあるが、今振り返ってみても結局この人に会えたからいいや、みたいなのがあって、美濃部さんとか(倉貫)カズキさんとか」
「まあでも美濃部さんは、お父さんみたいな人。思い出っていうのは怒られた思い出しかない」
Q.印象に残っている怒られ方は?
(柿谷さん)
「ギリギリですか?『お前のプレーはどうでもいい』『お前が楽しかったらそれでええんやったら出ていけ』と。週10くらいで言われました。週7ではなくて。それぐらい自分勝手にプレーしていた。言われれば言われるだけ直したくない。お父さんに言われたら嫌じゃないですか。そういう気持ちでやっていた。常にお前は『なんで香川(真司)はあんなところにおって、お前はそこにおるねん』と。こっちがむかつくようなことばっかり言われて。やけど、今思えば、その通りやし。でも美濃部さんは、いいプレーやったら、いいプレーしたら全力で褒めてくれるから。うまいこと飴と鞭にやられたな」
「今35歳ですけど、25歳までやれていたか分からないサッカー人生、ここまでできたのは、間違いなく美濃部さんのおかげだと思います」
Q.徳島で過ごした時間は?
「どこ行っても応援してくれるというか、『次の試合頑張ってな』とか、『前の試合観に行ったで』とか、どこ行っても言われるので、どこ行っても家族がいるような場所」
「これからは、サッカー選手ではないですけど、柿谷曜一朗という人間を徳島から今後とも応援お願いします」
最終更新日:2025年2月24日 19:50