アジアパラ柔道日本女子初の金!廣瀬順子さん・目に障害があっても・・・夫婦で挑む3大会連続のパラリンピック
24日のアジア・パラ競技大会で柔道日本女子初の金メダルを獲得した廣瀬順子さん。視覚障害者柔道で、3大会連続のパラリンピック出場と、パリで金メダル獲得を目指す山口市出身の廣瀬順子さんを、山口放送は13日、取材しました。
山口県柳井市からフェリーでおよそ2時間半。愛媛県松山市。この町に来年のパリ・パラリンピックを目指す夫婦がいます。
山口市出身の廣瀬順子さん33歳と、夫でコーチも務める悠(はるか)さん44歳です。
2人とも弱視で視野も狭く、目が不自由ではありますが、障害を言い訳にしたことはありません。
廣瀬順子さんは小学5年生のとき柔道を始め、西京高校1年のときには夏のインターハイに出場。
大学に進んですぐ、膠原病を患い、併発した病気の影響で目に障害が残ってしまいました。
しかし、21歳で再び柔道を始めます。
8年前の2015年12月、視覚障害者柔道の日本代表選手として活躍していた悠さんと結婚。
夫婦2人でパラリンピックに2大会連続で出場し、順子さんは2016年のリオパラリンピックで日本女子初の表彰台=銅メダルを獲得(女子57kg級)。
2021年の東京パラリンピックでは、当時過去3戦3敗の世界ランク1位の選手に3位決定戦で延長戦の末、敗れ、惜しくもメダルを逃しました。
(廣瀬順子さん)
「もともと東京パラリンピックで引退しようと考えていたのが、3位決定戦で負けたのがすごく悔しくて、悔しさと、ずっと負けていた相手にゴールデンスコアまで試合ができたことで、もう少し柔道を頑張って強くなりたいなという気持ちが徐々に強くなって、そこで柔道をもう少し続けようと思って再開しました」
東京パラリンピックから1か月後には柔道を再開。
夫の地元・愛媛県松山市の松山工業高校柔道部の男子部員やコーチと週6日、稽古に励んでいます。
組んでから試合が始まる視覚障害者柔道。
順子さんはこれまで、筋力を強化し寝技に力を入れてきました。
相手を崩して勝機を見出す戦法です。
今は、世界のトップを狙うために、一本背負いや大内刈りなど投げ技に力を入れています。
悠コーチの分析で背の高い外国人選手は防御に弱いとみているからです。
(順子さんの夫・廣瀬悠コーチ)
「ずっと負けていたブラジルの選手にも今、2連勝、勝てるようになってきているので、技のキレは年齢と共に落ちているが、本人の柔道感覚というのが、他の技だったり進化しているので、これが最後、集大成だと思います」
順子さんは去年11月の世界選手権から国際大会4戦のうち3戦で銅メダルを獲得。世界ランク5位につけています。(9月26日現在)
視覚障害者柔道は、去年から全盲(J1)と弱視(J2)でクラス分けされ、体重別の階級も女子は6階級から4階級に狭まりました。
パラリンピックへの出場枠をかけた国際大会は来年5月まであと5戦(10月24日アジアパラ終了であと4戦)。
ランキング6位以内を維持することを目標に、順子さんは減量を続けながら厳しい戦いに挑みます。
(廣瀬順子さん)
「パリは東京とは違って、まず出場枠を取るのが厳しい状態なので、一つ一つの試合を大切にしていきたいと思います」
厳しい戦いを乗り切るための源は、結婚して8年、築いてきた夫婦の絆です。
(廣瀬順子さん)
「悠さんは今も相手の技をすごく研究して、その相手のように組んで乱取りをしてくれたりとか、私がもっと、こういうふうに技に入ったらいいよというのを研究してわかりやすく教えてくれるので、悠さんがいることで自分がずっと楽しく柔道ができて、さらにコーチしてもらって悠さんのおかげでパワーアップしていけていると思うので、そこが2人でやっていて良いところだと思います」
廣瀬順子さん。
夫婦二人三脚でパラリンピックでのメダルを目指します。
【取材メモ】
24日、アジア・パラ競技大会で日本女子初の金メダルを獲得した廣瀬順子さん。準決勝では、これまで1度も勝ったことのない世界4位のウズベキスタンの選手に投げ技で一本勝ちしました。
順子さんは、かつては人見知りだったと言いますが、夫の悠さんと出会ってからは、目が見えにくいならだれかに頼ればいい、好きな柔道は楽しくやればいいとアドバイスを受けて、柔道との向き合い方が変わったといいます。
コロナ禍で人との接触が制限されたときも、順子さんは夫婦2人で乗り切ってきました。
今後の活躍に注目です!