【コンサドーレ】ミシャ監督が退任会見 札幌の攻撃的スタイルを築いた名将が別れ 会見要約
コンサドーレで7年間、Jリーグでは19年間も監督を務め、日本のサッカーにも多大な影響を与えた名将が、自身のキャリアに一区切りを打ちます。
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「私のキャリアの中でも最高の7年間だった。最後は降格して不甲斐ない結果になってしまったことは申し訳ない。ここを去ることは心苦しいです。素晴らしい時間を過ごした7年間、ここでやってきたことは、私の中で宝物のように残っていく。関わってくれたすべての方のご支援に感謝したい」
【7年間コンサドーレを率いて】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「ネガティブ、ポジティブ色んな事があったが、1つだけ達成できた仕事がある。2018年にクラブが何を求め私に監督を依頼したのか、「札幌を攻撃的なチームにしてほしい、観客を魅了するチームにしてほしい」ということだった。私は7年間の中で、札幌は攻撃的なサッカーをするという代名詞的な印象は作れたと思っている。コンサドーレがどういうチームで、どういうサッカーをするのかを日本中に発信できたことには満足している」
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「私は勝利を目指す中で、ただ勝てばいいとは思っていない。自分のスタイルを貫いて勝利することにこだわってきた。つまらない試合をして勝つよりは、スタイルを貫いて負けた方が良いとすら思っている。その哲学を、私はプロの監督として貫いてきた。札幌のサポーターも、もちろん勝利が見たい。ただチームが上手くいっていない時でも全力で応援してくれる、それが札幌サポーターのスタイルであり、哲学だ。それを貫いてほしい。そんなサポーターがいれば、来季も必ず1年でJ1に戻ってこられるだろう」
【北海道という土地柄について】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「素晴らしい街だ。出歩く機会は少なかったが、北海道という大きな島が素晴らしい土地で、素晴らしい人たちが住んでいることは十分わかった。皆さんがこの土地に対する愛を持っている。東京とは違い、少しゆったりして暮らしている中で、温かい人も多い。この先、旅行で訪れるときには北海道の素敵なところに、足を運びたい」
【日本サッカーの発展について】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「私が仕事をした19年間で大きく前進した。日本サッカーの環境や育成レベルは世界でもトップクラス。高校年代では部活やプロクラブの下部組織がうまく共存しながらやっている。18歳でプロになれなくても、大学で再チャレンジができ、色んな可能性の中でカテゴリーを上がっていくことができる。受け皿の大きさが日本サッカーを前進、発展させたと思っている。育成の組織づくりは素晴らしい」
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「指導者も真面目で勤勉な方が多い。これまでもJリーグでもたくさんのコーチを指導してきたが、海外に学びに行ったりなど指導者の向上心が素晴らしい。19年前は自分の言ったことを選手に確実に求めてる日本のコーチが多かったが、決められたことだけでは戦うことはできない。選手に選択肢を与えることも大事だ。そういうことも学びながら、落とし込んでいた。それで選手が育ち、海外でも活躍していると思う」
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「Jリーグのレベルも高い、アジアでは抜けていると思うが、世界やヨーロッパと競争していかなければいけない。Jリーグの優勝クラブが、公式の場でレアルマドリードやバルセロナなどと戦うことができれば、差を感じ、その差を埋める作業に入ることができる。そこから世界との差が、また一つ縮まる」
【これまで指導してきた選手について】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「よく父親みたいと言われるが、私は選手に優しいわけではない。グラウンドでは厳しいことを求める、無茶なことを言う。公の場で一度も言ったことがないが、ダイレクトにダメ出しすることもある。ダメなものは、はっきりダメと言う、更に良くなってもらうために言う。父親なら、自分の子どもにダメなものはだめと言うでしょう、いい大人に成長してほしいから。私は選手に対して常にそういう姿勢で接してきた。だから選手からは父親と言われるのだろう、優しいからではない。信頼と愛情があるからこそ、ダメと言える。その関係を作ったからこそだ」
【通訳兼コーチの杉浦大輔氏について】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「最も重要な存在。言葉が通じない国で仕事をすれば、代弁者が最も大事。私の感情を伝え理解してもらう行動は、私の理解者でなければ実現しない。彼はプロのコーチライセンスを取得した、もはや大輔は私の通訳ではなく私の同僚だ。プロのコーチとして同僚である。間違いなく彼は良い監督になるだろう」
【今後のキャリアについて】
(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)「19シーズンも日本で仕事をした、とても長い時間だった。先日の会見で「95%、監督のキャリアを終える」と伝えたが、ハッキリとは言えない。どの監督も引き際には余力を残す、それは「このチームなら、もう一度頑張りたい」と思えるかどうかだ。だから私は5%を残した」