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【昭和100年 映像館②】名古屋駅“無言の帰郷”  昭和7年

2024年5月10日 20:10
【昭和100年 映像館②】名古屋駅“無言の帰郷”  昭和7年

昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代に、たくさんの名古屋の映像を残したカメラマンがいました。そのカメラマンがレンズ越しに覗いた昭和の貴重なシーンを紹介します。第2回は、戦死者の「無言の帰郷」です。

江戸時代から明治に入り、日本は、欧米列強国に追いつけ追い越せの号令の元、日清(1894年)、日露(1904年)戦争へと舵を切っていきました。その後、大陸へ進出した日本は、日韓併合を経て、満州国を建国、15年戦争へと突入していきます。1931年(昭和6年)に勃発した満州事変では、日本陸軍第三師団(名古屋)の戦死者は142人でした。1937年の日中戦争では、上海付近の戦闘だけで、994人が戦死。第三師団全体では、死傷者は、12160人になったと言われています。1938年(昭和13年)には、国家総動員法が発せられ、戦争へとさらに突き進みます。1941年から米英に宣戦布告した日本は、1945年の敗戦へと進みました。330万人もの国民を犠牲にした戦争は何だったのか?今回は、過去を見つめ未来への糧とする貴重な映像です。

■映像説明
列車の到着シーンから始まる映像は、昭和7年頃の名古屋駅とみられます。当時、名古屋駅は、現在より南の笹島交差点付近にありました。列車からは、遺骨を首から提げた兵士たちが降りてきます。騎馬兵に先導され、遺骨の列は、広小路通りを進んで行きます。途中遺骨は、遺族や関係者に引き継がれます。幟には、南桑名町や八百屋町と描かれています。ともに現在の名古屋市中区栄2丁目界隈に存在した町名です。遺骨の数や襷に広告看板から推察して、昭和7年頃の撮影とみられます。撮影した横井湖南氏も同じ地域の出身でした。映像は、戦死者の遺族宅まで向かった様子を記録したものとみられます。※八百屋町=1966年(昭和44年)3月まで存在

■カメラマン
名古屋出身の映像作家:横井湖南氏(1910年~1957年=明治43年~昭和32年)。昭和の初め、映像制作会社や映画協会設立に関わる。映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在。
【映像提供:横井克宜氏】

■参考資料
・愛知県『愛知県史別編 文化財1』2006年
・名古屋市『新修名古屋市史』5巻6巻 2000年