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【水俣病埋もれた報告】住民健康調査 熊本県が15年前に方法まとめるが国は今も「手法開発」

2024年4月30日 19:46
【水俣病埋もれた報告】住民健康調査 熊本県が15年前に方法まとめるが国は今も「手法開発」
水俣病は5月1日で公式確認から68年を迎えます。30年以上水俣病の取材を続けている東島大デスクとお伝えします。今の水俣病の課題はなんですか。

(東島大デスク)
ひとつは水俣病に認定されていない人たちの救済問題。もうひとつは住民の健康調査の問題です。実はこの2つはつながっていて、健康調査をすれば隠れていた患者が増える可能性があります。

(緒方太郎キャスター)
そうすると国は救済の問題をこれ以上複雑にしたくないわけですから、健康調査をしたくないということですか?

(東島デスク)
しかし、健康調査は法律で実施することが決まっています。にもかかわらず、法律ができて15年経っても行われていないんです。つまり、いまだに水俣病の全体像はわかっていないということです。

(緒方キャスター)
普通なら、どれくらい汚染が広がっているのか、症状を訴える人がどれくらいいるか真っ先に調べますよね。

(東島デスク)
それをしなかったことが、水俣病が解決できない大きな理由のひとつです。しかし、実は今から18年前、水俣病が解決へ大きく動こうとしたターニングポイントがありました。それは一通の報告書です。今、歴史に埋もれようとしている報告書と、それに関わった人たちを取材しました。

■潮谷義子元熊本県知事
「行政の責任として、この裁判に負けたということをどう考えますかっていうのが県は問われている。同じように国も問われている」

元熊本県知事の潮谷義子さん。2期目を務めていた2004年、最高裁は初めて「水俣病が拡大した責任は国と熊本県にもある」と断罪しました。国と県はどうするべきか。潮谷さんが考えたのは、住民の大規模な健康調査です。

チッソが垂れ流したメチル水銀の影響が考えられるすべての人たちの健康状態を調べ、被害の広がりを把握しなければならない。

判決から1か月後にまとめた熊本県の水俣病対策です。この時県が想定した健康調査の対象者は実に47万人。調査をすれば、巨額の費用に加えて、新たな患者の掘り起こしにつながるのではという懸念もありました。

■当時の潮谷知事(2004年12月)
「県が示したたたき台を論議していく中で、当然、国は国として、今回の判決結果を受け止めた姿勢を示すだろうと思われる」

しかし、小池百合子環境相率いる当時の環境省の対応は冷淡そのものでした。県の提案は突き返され、その後、小池環境相は任期中、潮谷知事と面会することはありませんでした。

■潮谷義子元知事
「一歩も始まらなかった。そういう気持ちはものすごくありますね。調査も始まらないし、その負けたことに対してのね、 方策、それも姿が見えないなって、そんな感じですよね。なんとも言えない虚しさがありましたね」

国の対応に失望した潮谷知事は方針を切り替えます。熊本県独自で健康調査を行えないだろうか?かつて患者の調査を行った熊本大学などの専門家を集め、前例のない調査の手法を検討しました。

それは翌年、1冊の報告書に実を結びました。ここには47万人の住民の健康調査を実施するための手法が記されています。報告書の作成に関わった、当時の県幹部・森枝敏郎さんです。

■森枝敏郎さん
Qその報告書は手応えのあるものになった?
「そうですね、そう分厚くはありませんけど、簡潔にまとめてますけども、グランドデザインとしてはきちんと整理はできていたと思います。スケジュールはこのくらいで、 こういう手法でやれば、全体のお金もこのくらいで、また時間もこのくらい、そうして水俣病やその補償、救済問題の区切りというか解決のめどがつくと思ってたんですよね 」

しかしこれ以降、この報告書が日の目を見ることはありませんでした。

■森枝敏郎さん
Qなぜ、ここまでのものを作っておきながら、そこで消えてしまったんでしょうか?
「そこはわからないですけどね。国はどうしても腰が重かったので、やっぱり重いままだったんでしょうかね」
Qこの報告書の内容を、国としてはそのまま受け止めることはできなかった?
「受け止めてないんでしょうね、 推測ですけどね」

翌年、新しい知事に蒲島郁夫東京大学教授が就任します。「水俣病は政治の原点」と語った蒲島氏。しかし、県独自の健康調査には消極的でした。そして2009年。水俣病問題の最終解決をうたった特別措置法が成立。それまでと一転、国による健康調査の実施が盛り込まれたのです。

それから15年。国は調査の方法を検討中として健康調査を行っていません。その一方で、被害を訴える人たちが各地で裁判を起こしています。原告たちはみな、健康調査の一日も早い実施を求めています。なぜ国は熊本県が提案した健康調査に乗らなかったのでしょうか。

■潮谷義子元知事
「やっぱり国のプライドとしてできなかったのかなという思いはありますよね。だから、 やっぱり本当に残念。もっと早く、本当に少しでもいいから、1項目でもいいから手をつけておくべきだったんじゃないかなと思うんですね」

■森枝敏郎さん
Q不思議なのは、健康調査の手法が県の報告書に書いてあるのに、国は15年間手法を開発していますと言い続けています。
「えっていう感じですよ。なぜ今ごろ、まだこういうことやってるんですかって。だって15年ですよ。だからまた新たな訴訟が提起されたりしますから。なんなんでしょうね、行政として、行政のあるべき姿としてですね、 どうなんでしょうね」
Qこのままだと本当に埋もれた報告になります。
「絶対いけないと思いますね。そこはだから環境省が本当に生かすべきだし、生かさないと、これはきちんと 環境省もいい形でやったねってことには絶対ならないと思いますね」

(緒方キャスター)
あの時、調査をしていれば、と今となっては悔やまれます。

(東島デスク)
水俣病は、「あの時、こうしていれば」の繰り返しなんです。チッソ工場の排水を早く止めていれば。早く公害に認定していれば。早く行政責任を認めていれば。そして健康調査を早くしていれば。この繰り返しが水俣病の歴史です。水俣病は5月1日に公式確認から68年を迎えます。慰霊式には環境相も県知事も出席します。今、何をやらなければならないのか、問い直す日にして欲しいと思います。