穴水町の人々癒す接骨院が再出発 一度は諦めた再開…「能登の皆と立ち上がりたい」
穴水町川島にある「大森接骨院」。
1995年の開業以来、町の接骨院として地元の人を中心に施術を続けてきましたが、元日に発生した能登半島地震で窓ガラスが割れたり、院内の壁が壊れるなどの被害をうけ、休業に追い込まれました。
当時の状況について大森春養院長は・・
大森院長:
「ここのガラスが割れて壁に亀裂が入って、ここの額もガラスが入って落ちた」
「絵でちょっと隠してる、亀裂を」
「これが平成19年(の地震)でこれが今年」
「今年のほうが大きい」
妻と二人三脚で接骨院を営んできた大森さん。
地震による被害の大きさに「被災直後は再開を諦めたこともあった」と話します
大森院長:
「もうできないかなと思った。能登でやっていけるかどうか、人も出ていくし。」
「自営の人は私の仕事に限らず大変だと思います」
再開を諦めかけていたにも関わらず、再出発を決意した理由は地元、能登への思いからでした。
大森院長:
「私もいろいろ大きい地震に遭って精神的に落ち込んでまた能登でやっていく自信がないと思っていたが、自分は能登で生まれ育って能登が好きだし、大変でも能登のみんなと立ち上がりたいと思ってこちらに戻ってきました」
「(地域の人からの連絡が)携帯電話にかかってきたり家の固定電話を見ると着信履歴が入っていたので多分患者さんかなと」
幸い、施術に使う道具は無事だったため被災から2ヶ月半、ようやく再開することになりました。
早速、施術を待ちわびていたという女性がやってきました。
女性:
「毎日毎日欠かさず来ていた」
「きのうこっち痛いって言ってたね。きょうは大丈夫だった?」
「右が痛い」
10年ほど通っているというこちらの女性は、大森さんとの施術中の会話も楽しみの一つだといいます
女性:
「最初に(店に)入ってきた時よりも先生が揉んでくれたので楽です」
(Q.再開したときはどう思った?)
「やったーと思った、こどもみたいに」
「全然違う、待った甲斐があった」
「癒しの先生みたいなもの」
休業を経て再出発を果たした大森さんが見据える未来とは・・
大森院長:
「仕事ができる喜びを実感した。今まで避難所にいて仕事がしたくでもできないもどかしさがつらいなと思っていた。また仕事が出来る日が来るなんてありがたいことだなと」
「人生はプラスマイナス0だというのでこれだけマイナスなことがあったのでこれから良くなっていくに違いない。そうなるために100歳までは頑張りたいと思います」