当時は遺族に配慮し…13年経ち、初の意見交換会「100年後の命も救いたい」<南三陸町・旧防災対策庁舎>
南三陸町の旧防災対策庁舎は現在、一時的に県有化されているが、今年7月からは町が所有し震災遺構として保存される。
佐藤仁町長
「防災対策庁舎の持つ意義は未来の子どもの命を守ることがまず大事」
先週金曜日に開かれた意見交換会には住民およそ70人が参加する中最初に佐藤仁町長が今年3月に町有化を決断した理由を話した。
参加者の一部からは解体を望む声もあったが、多くは旧防災対策庁舎を震災伝承に活用するべきとの意見だった。
住民
「あれを見た時に実感に変わる。 大変なことが起こったんだと再認識される方が複数いる。100年後の命も救いたい。経験をしただけが語り継いでも、 当然その人がいなくなった時には止まってしまう」
旧防災対策庁舎で町の職員だった父を亡くした及川渉さんの姿があった。
及川渉さん
「13年経っても変わらない思いもあれば変化していく思いも一人一人違うが、今後どうしていくかに視点を向けてみんなで考えていくべき」
及川さんは震災後しばらく、遺族や町民の間で保存の是非を話し合う場が無かったと感じていた。
及川渉さん
「町の方々も遺族に配慮して、半ばタブーみたいな空気になってしまいました。」
防災無線
「避難してください」
あの日…3階建ての庁舎の屋上を超える津波が襲い町の職員ら43人が犠牲となった。
佐藤仁町長
「水が引いてから屋上にいた20人ぐらいが誰もいなくなっていました。たぶん流された。」
保存か、解体かで町民の意見が分かれる中震災から2年半がたった頃佐藤町長は…
佐藤仁町長
「結論として解体をせざるをえないことになりました」
しかし震災から4年。
有識者会議での議論を経て村井知事は保存の是非は、時間をかけて検討するべきと提案。
2031年まで県が維持・管理することになった。
村井知事
「時間を設けることが賢明な選択ではないか」
その後も及川さんは防災庁舎がどうあるべきかを仲間と議論を重ねてきた。
そこにはある危機感もあったという。
及川渉さん
「毎日通るたびに意識するのではなく町の風景に溶け込んでいる。当たり前の風景になってしまってるのが風化」
こうした中、今年3月、佐藤町長は県有化の期限を前倒しして震災遺構として町有化することを発表した。
24日の意見交換会で及川さんは、次のように提言した。
及川渉さん
「庁舎頼みというか、被害はそこだけではないということも伝える側も受け取る側も意識した防災の形、伝承の形。庁舎以外でも生き残った亡くなった要因だとか1人1人のストーリーとか、知ってもらうきっかけとして庁舎がその役割を果たしていくべき」
旧防災対策庁舎は、防災教育に生かされる。